寝台特急出雲号/駅間 | |||
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米子(後藤)在籍のDD51では、1186号機は最もエンジン音が大きかった。お召牽引に多用されている事と関連があるように思う(エンジンの調子がよい)。香住駅出発時から大きなエンジン音を響かせてやってきた。 | |||
香住→鎧間 9列車・出雲号 1998年9月13日 |
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1990年代の山陰本線は、国鉄型車両で溢れていた。餘部橋梁においても、この頃は、出雲号のほか、キハ181系はまかぜ号・DD51牽引普通客車列車・キハ47系など、バラエティに富んでいた。 | |||
鎧→餘部間 1003列車・出雲3号 1996年8月17日 |
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短い雪覆を抜け、半径302mの大カーブを駆け抜けてくる。15.2‰上り勾配のため、走行音の迫力もあり、早朝などは録音向きでもある。 次位機は回送である。 |
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福部→滝山(信)間 1003列車・出雲3号 1995年4月8日 |
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DD511105+DD51+14系×8 | |||
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鳥取県内の山陰本線では背景に日本海が入る場所は少ない。東浜→岩美間、青谷→泊間、八橋→赤碕間他などくらいである。 この日は生憎の曇り空であったが、”絶景”に思えた。 |
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泊駅(俯瞰) 1003列車・出雲3号 1994年11月3日 |
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出雲号のヘッドマークも、文字が金色のものや黒色のものが存在したが、やはりこの金色のものが美しい。 バリ順の条件下、今はJR貨物にいる、1188号機牽引でやってきた。 |
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泊→松崎間 9列車・出雲号 1999年11月20日 |
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美しい雪晴れの中、好撮影地を出雲号が駆け抜けて行った。 1179号機は、2012年1月現在においても、1186号機とともに後藤総合車両所に在籍している。 |
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泊→松崎間 3列車・出雲号 2006年1月9日 |
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有名撮影地での撮影。この季節、出雲号通過時は晴天だと順光条件になっていたが、出雲のヘッドマークにはなかなか日が当たらなかった。 | |||
泊→松崎間 7列車・出雲号 2002年10月11日 |
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福知山線経由の迂回運転となった関係で、宮原総合運転所の1043号牽引であった。 また、福知山線内の列車有効長の関係で短い7両編成となった。普段より約2時間遅く通過した。 |
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泊→松崎間 7列車・出雲号 2002年4月14日 |
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出雲号が順光で撮影できる事で知られていた、この場所・この季節、休日ともなると20人前後のカメラマンが集結していた。 | |||
泊→松崎間 9列車・出雲号 1999年10月10日 |
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有名撮影地から約700mほど松崎側の地点である。 秋〜春にかけて、晴天時はこのように出雲号のヘッドマークに日が当たる。全編成は入らないが、いい場所であった。 |
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泊→松崎間 1003列車・出雲3号 1998年2月11日 |
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DD511186+14系×8 | |||
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たどり着くのがなかなか難儀な場所での撮影。側面順光・アウトカーブ・俯瞰・田園地帯など、出雲号撮影において、比較的条件は揃っていた。 | ||
泊→松崎間 1003列車・出雲3号 1997年8月30日 |
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出雲号終焉のこの時期、1121号は運用から外れる事が多く、1188号は全く出雲号には使用されなかった。1179号・1186号・1187号の3両をよく見かけた。 | |||
泊→松崎間 3列車・出雲号 2006年3月8日 |
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DD511121+DD51+マヤ34+14系×8 | |||
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山陰本線では、大岩駅とともに線路際に桜の木がある事でよく知られた、場所である。回送のDD51に加えて、その次位にマヤ34(軌道検測車)が連結されていた。 | ||
松崎→倉吉間 1003列車・出雲3号 1994年4月9日 |
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木が枯れ草色となる、冬の時期においても、雪が加わるだけで背景はぐっと引き立つ。ヘッドマーク自体がすっぽりと覆われた、出雲号が雪晴れの中、雪に音が吸収されて静かにやってきた。 | |||
松崎→倉吉間 9列車・出雲号 1999年2月21日 |
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DD511186+DD511189+14系×8 | |||
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こちらも雪晴れの好条件下での撮影であるが、田園地帯で全編成を入れた。DD51自体は、機能的なスタイルでアメリカ的であるが、光景自体は日本的なものである。 | ||
松崎→倉吉間 1003列車・出雲3号 1994年1月22日 |
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DD511177+DD511105+14系×8 | |||
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お召列車牽引のため、美しく整備された1177号機が、次位の1105号機と大きな対比を見せていた。次位機は回送であるが、総括重連が轟音とともに橋梁を渡る姿は、迫力に満ちていた。 | ||
倉吉→下北条間 1003列車・出雲3号 1994年11月23日 |
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山々が海に迫る地形の倉吉以東とは異なり、倉吉から米子まではトンネルはゼロ。扇状地を行く、アップダウンコースである。 俯瞰すると、山岳地らしく思える場所も存在する。 |
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下市→御来屋間 1003列車・出雲3号 1995年9月22日 |
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今も昔も変わらない、有名撮影地での撮影。田んぼに水が入り、田植えが始まったためか、かなり背景は引き立っていた。 この時期、回送機を連結した、総括重連が毎日見られた。 |
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淀江→伯耆大山間 1003列車・出雲3号 1995年5月27日 |
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「金文字」出雲のヘッドマークを掲げた出雲号が、日野川橋梁を轟音とともに渡って行く。 1022号機は、伯備線貨物列車全面EF64化に伴い、岡山から米子にやってきていた。 |
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伯耆大山→ 東山公園間 1003列車・出雲3号 1994年10月31日 |
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「コンクリート橋+砂州」という、独特の雰囲気の斐伊川橋梁を、コトコトと音を立てる感じで渡って行った。 さよならSL列車運転時(1975年1月)は、多くのファンを集めた場所である。 |
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直江→出雲市間 1001列車・出雲1号 1994年12月1日 |