寝台特急出雲号/駅・運転所 | |||
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国鉄からJRになった後、15年を経ての撮影である。 この頃の山陰本線は国鉄型車両の宝庫であり、このように、国鉄型車両による特急どうしの行き違いが、多く見られた。 |
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香住駅 7列車・出雲号 2002年3月14日 |
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DD511110+DD511179+14系×12 | |||
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増結5両編成の急行砂丘号が待機しているところ、やはり増結・12両編成の出雲3号が、しずしずと入線してきた。 このような光景は、出雲号廃止の2006年3月までは、日常的に見られた。 |
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鳥取駅 1003列車・出雲3号 1994年5月3日 |
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この当時、山陰本線を代表していた、国鉄色寝台特急・国鉄色特急どうしの列車行き違いが、鳥取県内でも見られた。 ダイヤ改正により、この両者の行き違い駅も変動した。 |
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湖山駅 1003列車・出雲3号 1995年5月2日 |
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DD511188+24系×9 | |||
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あと10日ほどで山陰本線の定期運用からは撤退する、時期におけるキハ58系を横目に見ながら、出雲号が軽やかに惰力で通過して行った。 | ||
青谷駅 7列車・出雲号 2003年9月21日 |
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DD511188+14系×8 | |||
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この時期は、キハ181系あさしお4号と出雲3号の列車行き違い駅は、泊駅であった。 先着している、あさしお4号を待機させて、出雲3号が滑るように通過して行った。 |
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泊駅 1003列車・出雲3号 1992年10月31日 |
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上りキハ47系普通列車と、1994年12月開業の智頭急行線直通・スーパーはくと号用のHOT7000系回送列車を待避させて、浜田行・出雲1号が、滑るように通過して行った。 | |||
松崎駅 1001列車・出雲1号 1998年4月30日 |
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DD511177+DD511119+14系×12 | |||
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出雲号が2往復運転されていた時代、14系使用の出雲2・3号は、牽引定数の関係で多客時は、重連運転となっていた。 ただし、出雲1号の伯備線経由での運転時期は、3号のみ毎日重連であった。 |
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倉吉駅 1002列車・出雲2号 1996年8月2日 |
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キハ47系を除き銀色の新型DCばかりになってしまった、現在の山陰本線では想像もつかない、オール国鉄色・オール国鉄型車両列車の並びが、当たり前に見る事ができた。 | |||
浦安駅 1003列車・出雲3号 1991年5月25日 |
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DD511110+DD511186 | |||
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1993年9月〜1995年11月の間は、山陰本線電化工事の関係で、出雲1号は毎日伯備線経由の重連運転であった。 その後も夜間工事の関係で、ごくたまに伯備線経由となった(その前日に撮影)。 |
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後藤総合車両所 1997年10月31日 ※許可を得て撮影 |
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左からDD51(1188・1121・1186・1179) | |||
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だいせん号がDC化(キハ65)された後は、後藤のDD51定期仕業は、出雲号のみとなった。 この時期は、予めヘッドマークを取り付けた状態で、何両ものDD51が扇形庫で待機していた。 |
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後藤総合車両所 1999年10月17日 ※許可を得て撮影 |