旧型客車 | |||
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山陰本線から旧型客車が引退したのは、1986年11月1日であるが、それまではこのような光景は、日常的に見られた。 山陰本線はかつては、東北本線とともに”客車列車王国”であった。 |
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鎧駅 724列車(左)/ 835列車(右) 1979年3月23日 |
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コンクリート製新橋への架け替えにより、今では姿を消してしまった、名所:餘部橋梁(旧橋)である。 客車2両分以上の高さのところを走っている、事がよく分かる。 |
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餘部→鎧 724列車 1978年8月15日 |
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DD511118+旧型客車×4 | |||
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現在は見る事はできない、旧駅舎の泊駅と、懐かしの旧型客車・日本海・国道9号線との組み合わせである。 日本的な風景で、かつのどかさが漂っていて、よい雰囲気であった。 |
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泊駅 425列車 1986年4月12日 |
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DD51793+オハフ33−389+旧型客車×3 | |||
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日本的なのどかな田園地帯の真っただ中を、旧型客車列車が駆け抜けて行く。 架線のない、すっきりした単線路線に、ディーゼル機関車牽引列車はよく似合っていた。 |
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松崎→倉吉間 425列車 1986年1月26日 |
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上の画像と同一列車であるが、こちらは回送のDD51を次位に組み込んでいた。 ”客車列車王国”であった、この頃の山陰本線においては、機関車の回送重連を頻繁に見る事ができた。 |
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松崎→倉吉間 425列車 1986年2月10日 |
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荷物車・郵便車を3両組込み、かつ最後尾には旧国鉄倉吉線用・キハ40を連結した、模型の世界のような編成である。 キハ40連結は、この時期・この列車で毎日見る事ができた。 |
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松崎→倉吉間 721列車 1983年12月12日 |
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現在は後藤総合車両所(旧米子機関区)に在籍して、お召牽引の実績も多い、エース:1186号機であるが、この頃は福知山機関区に在籍しており、旧型客車牽引の機会も多かった。 | |||
倉吉→松崎間 528列車 1986年1月26日 |
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DD511040+次DF50+旧型客車/倉吉線用C1141 | |||
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1973年当時、米子機関区DD51は、1040号機(現在は並河駅横で静態保存)のみで、山陰本線米子以東は、DF50・DD54の天下であった。 従って、訓練運転と思われる。 |
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倉吉駅構内(鳥取機関区倉吉支区) 822列車・ DD51+次DF50 1973年9月 |
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米子機関区(現在の後藤総合車両所)に最初に配属された、DD511040号機が走り始めて間もない頃で、旧国鉄倉吉線C11や山陰本線D51用給水施設(画面左側・撮影当時既に未使用)との組み合わせが見られた。 | |||
倉吉駅 530列車 1973年8月 |
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DD511040(米子機関区配置第一号機)+旧型客車 | |||
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京都行普通列車である。長大編成・長距離走行の旧型客車列車(いわゆる、”長距離ドン行”)は、1980年代までの山陰本線・東北本線において、数多く見る事ができた。 | ||
倉吉駅 820列車 1976年7月24日 |
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DD51726+次DE101161+旧型客車×9 | |||
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DD51の次位・DE10+客車2両は、旧国鉄倉吉線用列車用の回送であった。 この時期、この列車の米子→倉吉間において、毎日見る事ができた(下りは、547列車の後付回送をしていた)。 |
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下北条→倉吉間 820列車 1984年5月6日 |
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下北条駅を出発した、上り旧型客車列車は、このあたりからぐんぐん加速していった。平坦線のため、DD51牽引列車も、時速90Km前後で飛ばす場所であった。 | |||
下北条→倉吉間 726列車 1983年12月24日 |
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DD511113+旧型客車×4 | |||
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山陰本線の鳥取県内区間は、兵庫・島根・山口と比較すると、日本海を入れて撮影できる区間は限られている。 余命後半年弱の旧型客車が、最後の夏を迎えようとしていた頃である。 |
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八橋→赤碕間 425列車 1986年5月5日 |