12系客車 | |||
DD511186+12系×5 | |||
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この撮影当時、この餘部橋梁のある、豊岡⇔鳥取間においては、1往復のみ普通客車列車が残っていた。 この列車は、豊岡発米子行で、約175Km走行する、”長距離ドン行”の生き残りであった。 |
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鎧→餘部 521列車 1996年8月17日 |
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上の画像と同一列車であるが、こちらは鳥取県内の田園地帯を行くシーンである。 オリジナルの12系と、ロングシート改造車の12系1000番台の併結であった。 |
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泊→松崎 521列車 1996年8月2日 |
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国鉄からJRになって間もない頃の山陰本線普通客車列車である。 旧型客車は消えており、50系と12系がいたが、山陰本線中部では12系が多かった。 |
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倉吉→松崎 422列車 1987年5月2日 |
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DD511176+12系×5 | |||
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早朝の時間帯における山陰本線の列車は、出雲号などの下り列車は逆光条件になる事が多かったが、このような上り列車は順光条件になる場合が多かった。 | ||
倉吉→松崎 420列車 1996年8月12日 |
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この日は、かなりの長距離を走る出雲号は遅れが発生していたためか、やって来なかったが、普通客車列車は、定刻でやってきた。 この場所は、現在と比べると比較的すっきりしていた。 |
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淀江→伯耆大山 521列車 1995年6月7日 |
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後藤総合車両所(後藤工場)入場のキハ65を最後尾に連結した、豊岡発米子行の普通客車列車である。 この列車では、DCの後付回送が多く見られた。 |
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伯耆大山→ 東山公園 521列車 1994年10月31日 |
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軌道検測のマヤ34を次位に連結、かつ休日仕様・客車2両編成という、模型の世界のようなのどかさがあった。 この当時、米子⇔出雲市間では普通客車列車は1往復のみであった。 |
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荒島→安来 422列車 1992年10月11日 |
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この撮影当時、米子⇔出雲市間で1往復のみ残っていた、普通客車列車の下りである。 平日のため、所定の6両フル編成であったが、この当時でさえ普通列車としては、長大編成に思えた。 |
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直江→出雲市 421列車 1994年12月1日 |