DD54


和田山 638レ 1977.2.15

DD54も私の少年時代の思い出の車両です。ですが、私がステレオ録音可能なソニーのデンスケを購入する以前に姿を消した(昭和53年6月)ため、D51同様十分な記録ができなかったと悔やんでいる対象のカマです。思えば大変短かったのです。昭和41年の第1号機誕生から営業運転引退までわずか12年間でした。40両誕生しましたが、100万キロ走行した車両が1両もありません。在籍期間も短いカマで5〜6年でした。1820馬力という強馬力のエンジンを液体変速機で受けるという構造が短命につながったのかも知れません。同じ箱型のディーゼル機関車:DF50が電気式(ディーゼルエンジンで主発電機を回転させ、発生した電気をモーターに送って走行する仕組み)のため、快適な乗り心地だったのに対し、DD54はその構造上、変速時に大きなショックが発生していました。そのため、残念ながら乗務員や乗客の評判がよくなかったのです。昭和43〜44年頃は推進軸のトラブルが、晩年は液体変速機のトラブルが相次ぎ、結果的にDD51への置き換えにより昭和53年に姿を消したのです。趣味的に見たDD54は、”前に出っ張ったスマートな箱型車体のカッコ良さ”と”異様な雰囲気”を兼ね備えたディーゼル機関車でした。スマートさは言うまでもありませんが、白帯のない赤一色の塗色・機関車側面窓を通して見えた機関車内部を照らす裸電球・側面のエアフィルターが真っ黒になっているカマが見られたこと・走行中に広く拡散する排気煙・B-1-Bの軸配置から来る”タタンタッタタン”という独特のジョイント音などがDF50以上に強烈な個性として甦って来ます。人間にたとえると、DF50が”大人しい”のに対し、DD54は”やんちゃ坊主”といった印象を持っていました。排気煙を取ってみても、DF50牽引の客車列車に乗車した場合は、トンネルに入っても排気煙が客車の屋根上を通って行くため、トンネル内の排気煙がほとんど気にならず、無煙化のありがたさを感じたものでした。一方、DD54牽引の客車列車に乗車した場合は、排気煙が拡散するためかトンネルに入ると排気煙が入って来ることがよくありました。昭和49年8月に、DD54牽引の下り”京都夜行”に京都から倉吉まで乗りましたが、旧型客車で冷房のないため窓を少し一晩中開けていたのですが、トンネルが多いのと排気煙の拡散のため、倉吉駅に到着した時に客車の窓枠にもたれていた右腕が真っ黒になっていました。排気煙に関しては、DD54は蒸気機関車よりは少ないかなといった感じだったようです。いずれにしても、私に取っては”接した年数は短かったけれども強烈な個性のため印象深い車両として甦ってくる車両”です。


倉吉→下北条 529レ DD5422+旧客 1976.7.25
倉吉 544レ DD547+旧客 1975.1.15
福知山区 DD5412+DD5433 DD5432+DD5430
 定期運用を終了し休車となった最後のDD54達 1978.7.22