DF50 |
![]() 紀伊長島→梅ヶ谷(名倉橋粱) 1194レ DF5064(亀)+DF5032(亀)+貨車 1979.4.21 |
私が「DFアロー」を名乗るきっかけとなった形式です。重装備D51等の現役蒸気機関車を十分に記録できず、悔しさを味わった私は、学生になった昭和53年から記録活動の対象として蒸気機関車の後を追って廃車が進もうとしていた”動力近代化の先駆者:DF50”に目を向けていました。奇しくもその頃、いったん全国の国鉄線から全く姿を消した蒸気機関車が山口線に復活しようとしていましたが、その”観光列車”的な要素の強いC571牽引のやまぐち号よりも現役時代の蒸気機関車同様”普段着姿で地道に最後の活躍をしている”DF50の方に魅力を感じていました。DF50の魅力は、大きく二つだと思います。その一つは、本線用ディーゼル機関車らしいスマートな箱型車体です。特に、高松と高知のDF50はその車体を引立てるかのように側面の銀のエアフィルターが輝いていました。全く新車同様の輝きで、感動物でした。余談ですが四国のDF50は非常に手入れが行き届いており、”高松運転所のDF50は日本一の機関車だ!”と言われていたそうです。私も何度も四国のDF50に接しましたが、まったくその通りだと思いました。もう一つの魅力は、あの独特のエンジン音です。燃料噴射圧力の高いDF50のエンジンの音は非常に大きく、一般の方からは「エンジンの音がうるさい」と評判がよくなかったようですが、ファンの私からするとズルザー形の0代(DF501〜DF5065)のエンジン音は、まさに漁船の焼玉エンジンの音で、”ドッドッドッドッド、ポンポンポンポンポン”という音に力強さと強烈な個性を感じたのでした。間違いなく”魅力ある鉄道車両の一つ”に入ると思います。高松運転所の検修の方から話を伺ったことがありますが、「DF50のエンジンは潜水艦のエンジンと全く同一」ということでした。国産のディーゼルエンジンが未発達だった昭和30年代初頭に、「煙の無い快適な旅行を!」という時代の要請に応えるべくやむおえず海外メーカーと技術提携の船舶用の中速機関を機関車に積んだという事実・背景を思い起こします。私はこの魅力あるDF50を(しかも昭和32年から昭和53年まで21年間地元の山陰本線を走っていて大変馴染みもある)昭和53年から昭和58年まで5年間、写真撮影やステレオ録音を行うため追ってきました。 ”その記録の集大成を!”という意気込みで制作・初販売したのが、’91年6月21日発売のステレオ録音テープ「DF50」でした。DF50は昭和58(1983)年9月25日の土讃線でのさよなら運転を最後に本線走行をしていませんが、何とかもう一度本線走行ができるようにできないものかと思っています。DF50で培われた電気式ディーゼル機関車の技術は”平成の新生DF”とも言うべきDF200に受け継がれています。単に趣味的に見て魅力があるだけでなく、果たした役割からみても「名機」と言えるのではないでしょうか。 |