山陰・鳥取県の観光なら、時を越えて懐かしい風景に出逢う町“くらよし”
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打吹城 うつぶきじょう

打吹山は山名氏が最初の居城、打吹城を築いた地です。
山名時氏(やまなときうじ)は、上野国(こうずけのくに)(群馬県)新田氏の一族で、足利尊氏(あしかがたかうじ)に従って活躍し、伯耆の守護となりました。時氏とその子師義(もろよし)は、倉吉平野の一角、天神川上流に位置する因伯の交通の要、倉吉に着目。城を建設して商工業者を集めました。城下には定期市が開かれるなど活況を呈したといわれています。そして、時氏、師義父子は、因幡、伯耆、隠岐、丹波、丹後、但馬、美作の守護を兼ね、領土を拡大。これに一族の他の領土を加えると、全国の6分の1を領有していることになり、「六文一殿」(ろくぶんのいちどの)と呼ばれるほどの隆盛を誇りました。しかし、室町幕府の三代将軍足利義満はこれを喜ばず、山名一族の離間をはかり、紛争が起こるよう企みました。八代将軍義政の時代には、応仁の乱が勃発。山名宗全が西軍を率いて細川氏と11年間にわたって戦ったが、乱後、山名一族は急速に衰退したといわれています。
 現在の打吹山には城跡が残っています。

打吹山(うつぶきやま)
所在地 鳥取県倉吉市仲ノ町
TEL 0858-24-5371(くらよし観光・MICE協会)
営業時間 散策自由
駐車場 観光駐車場を利用
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南総里見八犬伝のモデルとなった里見忠義

慶長19年(1614)安房館山城主里見忠義が勢力争いに巻き込まれる形で大久保忠隣に連座し転封を命じられ、倉吉にやって来ました。忠義は神坂(倉吉市東町・住吉町・荒神町)に住居を置き、倉吉の北野神社、北条郷の山田八幡宮の社殿を修復するなどの事績を残しましたが、元和3年(1617)池田光政の鳥取入城とともに、倉吉郊外の下田中村に、さらに同5年(1619)堀村(倉吉市関金町堀)に移され、元和8年(1622)、29歳で世を去ります。遺言により遺骨は殉死した8人の家臣(『南総里見八犬伝』のモデルといわれる)とともに大岳院に埋葬されました(里見忠義の法号は「雲晴院殿心叟賢涼御大居士」)。また、清和源氏の流れをくむ関東の武門の雄の霊を鎮祀する小さな祠が堀の山郷神社の近くにあります。
現在、大岳院には里見忠義主従の墓のほか、忠義が寄進したと伝えられる宋代の三彩稜花刻花文盤(さんさいりょうか こっかもんばん)が残されています。

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淀屋清兵衛

江戸時代初期、大阪の豪商であった「淀屋」は、俗に言う先物取引の創始者ともいうべき存在として知られており、米を中心とする商いで財を蓄えました。しかし、封建制度を揺るがしかねないとして幕府の危機感をあおり、質素倹約令に背いたとされ闕所(財産没収、大阪所払い)となりました。
そして淀屋で番頭を努めていた牧田仁右衛門なる人物が故郷である倉吉で商いを始め、稲扱千刃の産業を含めた米の売買によって「淀屋」を再興しました。代々「淀屋清兵衛」と名乗った牧田淀屋は倉吉の特産であった稲扱千刃を全国に普及しながら、かつての勢いを取り戻すかのような財を築いたといわれています。
牧田家に縁のある倉吉市の大蓮寺には、代々の淀屋清兵衛の墓がまつられています。

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大江磐代君 おおえいわしろのきみ

大江磐代君(おおえいわしろぎみ)は光格天皇の御生母です。
磐代君は延享元年(1744)倉吉市湊町に生まれ、父に連れられて京都にのぼりました。そして成子内親王に仕え、内親王が関院宮典仁親王に嫁いだ時、その待姫となりました。その後、典仁親王の女房となり、明和8年(1771)祐宮兼仁親王(光格天皇)ほか三皇子を産みました。磐代君は天資聡明で徳操高く、筆跡にも優れ、また歌道にも通じていました。宮仕えの女性として少しもひけをとらず、田舎出身などと思わせなかったと言われています。晩年は仏門に入り、69才までの余生を静かに送りました。
現在、打吹公園内に大江磐代君を祀った大江神社があります。

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伯耆国府跡 国庁跡・法華寺畑遺跡・不入岡遺跡

日本の歴史公園100選 (法華寺畑遺跡)
美しい日本の歴史的風土100選 (国庁跡)

国庁跡は奈良時代から平安時代の役所跡です。万葉の歌人山上億良は伯耆守として5年間倉吉で過ごしました。
法華寺畑遺跡は国分寺跡と同じ8世紀中頃に造られ、当初は役所として使用され、後に国分尼寺に転用されたと推定されています。
不入岡遺跡は奈良から平安時代に存続し、国庁の前身施設か郡庁、そして後に国府に関連する倉庫に転換されたと考えられています。
現在、法華寺畑遺跡と国分寺跡は歴史公園として整備されています。

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伯耆国分寺跡

日本の歴史公園100選
美しい日本の歴史的風土100選

天平13年(741年)聖武天皇の発願により全国の国ごとに造営された国立の寺院跡です。寺域約2.9ヘクタール、東西182m、南北160m。主要建物の遺構は、南門、金堂、講堂、塔などがあります。

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関の地蔵さん

地蔵院は昔から開運巡礼「関の地蔵さん」の愛称で全国に有名です。また、近郷の善男善女によって古くから尊崇され、親しまれてきました。弘法大師の法力によって霊泉が湧き出したという由緒とともに、古来から当国きっての古刹で、その縁起によれば、本坊の祖、孝謙天皇の御代、天平勝宝8年(756年)行基菩薩の開創に始まると伝承されています。広い境内には国の重要文化財に指定されている「木造地蔵菩薩半跏像」のほか、美術品、壁画、お地蔵さん、御堂などがあります。

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