山陰・鳥取県の観光なら、時を越えて懐かしい風景に出逢う町“くらよし”
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打吹天女伝説 うつぶきてんにょでんせつ

昔、一人の男が東郷池の浅瀬で美しい天女が一人水浴びをしているのを発見しました。男は天女に恋をし、近くに脱いであった衣を隠してしましました。天に帰れない天女は男の女房になり、二人の子を授かりました。
そんなある日、天女は羽衣を見つけ自分の体に羽衣をはおってみると、今まであった親子の愛情はたちまちうすれ、子ども達を地上に残したまま天界に飛んで行きました。二人の子ども達は大いに悲しみ、近くの小高い山(現在の打吹山)に登り、笛を吹き、太鼓を打ち鳴らし、母親に呼びかけました。しかし、母親の天女は二度と地上には帰って来ませんでした。

打吹山(うつぶきやま)
所在地 鳥取県倉吉市仲ノ町
TEL 0858-24-5371(くらよし観光・MICE協会)
営業時間 散策自由
駐車場 観光駐車場を利用
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長谷の絵馬 はせのえま

長谷寺は法道上人が開いたといわれており、本尊の十一面観世音は、室町時代前後のものです。昭和32年(1975)2月に県の保護文化財に指定された奉納絵馬が多く所蔵されており、巨勢金岡が描いたといわれる「天分18年白馬之図」は、夜な夜な絵から抜け出し、暴れまわったという伝説があります。この絵馬をはじめ、古くは天文5年(1536)、そして天和・延宝・貞享・元禄・安永・天保・嘉永とそれぞれの時代に描かれたものが多く奉納されています。

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鶴が教えてくれた関金温泉

むかし、湯関村のとなりの金谷村に鳥を飼うことが好きな老人がいました。ある朝、二羽の鶴が「森の木山」の方に飛んでいくのを見かけ、山へと探しに出かけました。あちこちと探しまわり、一休みしていると、ある岩の上に鶴が飛んできました。息をころして様子を窺っていると、鶴は岩の向こうに下りたり上がったり何度も繰り返しています。そして、しきりにくちばしで片方の脚をいたわっているかのようです。「岩の向こうには、泉でもあるのか?」老人は、足音がしないように岩の向こう側に廻ってみると…そこには、やはり泉がありました。ゴボゴボと水が湧き出ています。手ですくって飲もうとすると、その水は清水ではなく温泉でした。老人は驚き、山を駆け下りていきました。あの鶴の番は、傷ついた脚を温泉の湯で癒していたのです。

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ヤマトタケルノミコト伝説

ヤマトタケルノミコトが伯耆と美作国境の矢筈仙の山頂にある岩石の上に立ち、「この矢のとどく限り兇徒、悪魔は退散して我が守護の地となれ」と、念じ矢を放ちました。
また、放った矢は現在の倉吉市生竹まで飛び、その地を治める荒神が受け止めたといわれ、「矢留の荒神さん」と呼ばれる神社が建立されています。

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エグ芋伝説

今から、約1250年前のことです。一人の老婆が、関金宿(湯関村)の湯谷川で芋を洗っていると、みすぼらしい身なりをした一人の旅の僧が「その芋を少しわけてくださらんか」と声をかけました。欲張りな婆さんは、「この芋はなあ、見かけはうまそうなけど『エグ芋』といって、初めての人には口がいがむほどえぐうて、とても坊さんの口に合うものでは…」とていよく断りました。旅の僧は気にとめるでもなく笑みを残し、静かににその場を立ち去りました。しかしその笑みが、まるで相手の心を見抜いているように思われて、婆さんはするどい口調で、「何がおかしいんだ、乞食坊主めっ。こんなうまい芋を、お前なんかに食わせてたまるか」婆さんは、坊さんへのつらあてのように、芋をかじりました…。ところがどうしたことか、まさに舌もまがるほどえぐい。そんなはずはないと、ほかの芋を口にしてみましたが、次の芋も、次の芋も…。婆さんは気が違ったようになって、残った芋を全部谷川に投げ捨ててしまいました。
旅の僧はその夜、村の宿坊に泊りました。翌朝、谷川で顔を洗っていると、冷たい流れの中に湯けむりが立ち、ほのかなぬくもりがあることを感じました。僧は霊感により、泉源の位置を示し錫杖を谷川に投げ込みました。その場所を村人が掘ってみると、温泉がこんこんと湧き出したのです。
それは、川底の砂粒まで見分けられるような、無色透明のきれいなお湯でした。旅の僧は、宿坊の住職の請いをうけ、この地を訪れたしるしに錫杖を境内に立て、次の巡錫へと旅を続けたといいます。
旅の僧は、諸国巡礼中の弘法大師であったといわれています。僧が残した錫杖は、やがて芽をふいて巨大なはねりの木となりましたが、昭和の初めに切り倒されました。現在では、切り株を残すのみとなっています。婆さんが投げ捨てた芋は、今でも谷川に自生しており「関のエグ芋」として知られています。

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