2005年(平成16年)に『福の神にあえる街』を商標登録しました。

あきない中心倉オリジナル煎餅
1袋(10枚入) 各 300円
 
福の神にあえる街 (瓦型) 淀屋阡兵衛 (小判型)
 
淀屋清兵衛のこと
 大阪の淀屋橋にその名を残す天下の豪商「淀屋」は初代を岡本常安と云い、大阪常安橋にその名を残し、二代言當(ことまさ)から五代廣當(ひろまさ)までを、通称「淀屋辰五郎」といいます。  五代辰五郎廣當のときに、全財産没収の上、大坂三郷と京都堺お構いという追放刑「闕所・所払い」になり、淀屋は断絶したのです。  しかし、四代重當(しげまさ)の時、すでに幕府の弾圧を予見し、取り潰し騒動に備えていたのです。忠誠無比の腹心、倉吉出身の番頭「牧田仁右衛門」を倉吉に派遣し、淀屋という米屋を創業させ、地下活動の拠点としたのです。  倉吉で牧田淀屋の元祖になった仁右衛門は、重當が創案したと察しられる鉄製稲扱千刃産業の基礎固めをし、後に「倉吉千刃」として発展する礎となったのですが、表向きは米屋の主であり、決して世間に覚えられることはなかったのです。  そして、仁右衛門を生き継いだ子々孫々は、その後、総力を結集して、淀屋橋家を元の場所に「淀屋清兵衛」として再興してみせたばかりか、稲扱千刃を、全国隈なく普及させることになるのです。  幕末には、倒幕運動の裏方として、築き上げた巨額の財産一切を投げ打って支援し、忽然と姿を消したと云われています。  倉吉大蓮寺に仁右衛門以下代々が静かに眠っています。