中国5県に在住の仏師5人の内、3人が倉吉にいます。
 仏師さんは倉吉で生まれ育ち、京都で修行して帰省。それぞれが工房を開き、創作活動に励んでおられます。
 山本竜門師、仲倉裕朋師、小谷和上師の作品が街内に展示してありますので、それぞれの作風をご堪能ください。
大坂 淀屋橋を架けた商売の神様、淀屋清兵衛は倉吉出身である。
 北前航路や蔵米販売で大坂経済を支配した豪商/淀屋は、その力を恐れていた徳川幕府によって闕所になり、その血筋の淀屋清兵衛が倉吉において、稲扱千刃・木綿・かすりなどを米の販売ルートにのせ儲けた清兵衛は再び大坂に「淀屋」を再興しました。大蓮寺にあるのは歴代清兵衛のお墓です。
南総里見八犬伝』のモデル里見安房守忠義と8名の家臣は倉吉に8年間住んでいた。
 滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』のモデルとなった、安房国(現在の千葉県館山市)最後の城主里見忠義は、権力争いに巻き込まれる形で倉吉の地へ転封され、29歳の若さで死没し、遺言により8人の殉死した賢士とともに、里見家と親交のあった大岳院境内にお墓がつくられました。
明治天皇の曾祖父にあたる光格天皇のご生母大江磐代君は倉吉生れである。
 鳥取藩の家老荒尾家の家臣岩室常右衛門の娘として1744年倉吉に生まれ、幼名つる9歳の時、京都で医師となった父と上京し、閑院宮典仁親王へ使え、裕宮兼仁親王後の光格天皇を出産しました。母りん宛に出した手紙類が倉吉博物館に保管されています。
『再び天女が舞い降りて』打吹山の天女伝説
 天女伝説は日本国のみならず世界中何カ国かに残っています。倉吉の天女伝説の特徴は残された子どもたちは母を慕い悲しみ、母が音楽を好んでいたことを思い出し、毎晩この山に登っては、鼓を打ち、笛を吹いて、母を呼び続けたことです。いつしか人々は、夜ごと伎楽の音が聞こえてくるこの山を、打吹山と呼ぶようになったということです。
 
あきない中心倉とは
 あきない中心倉は2002年(平成14年)に鳥取県倉吉市の中心市街地活性化に向け、成徳地区(旧市街地)の商業者や地域の人たち約20人が発足した、まちづくりの任意団体です。
 成徳地区のまちづくりは、各商店街などが行政や商工会議所の指導により、まちづくりプランを練ってきていましたがとん挫した経過があり、倉吉銀座商店街や打吹通り、本町通りなどの商店街の枠を越えて、現在18名の会員で、まちづくり、まちおこしに取り組んでいます。
あきない中心倉の取り組み
 あきない中心倉発足当時は、月に2回の例会を持ち、活性化のための研究・調査・活動をし、講演会や座談会をしながら、実現可能なものから具体的に行動に移してきました。
 現在は、福の神委員会、商店開発委員会、商品開発委員会、歴史研究委員会の4つの委員会で、それぞれ活動しています。
 
平成23年度通常総会が無事終了
 6月8日、平成23年度の通常総会が無事終了しました。
 伝建群の範囲拡大もあり、これまで以上に旧市街地の活性化の力になれるように頑張ります。