山陰の宿  三朝温泉
藍の宿 木屋旅館


保坂嘉内/宮沢賢治
小菅健吉/河本義行(緑石)
河本緑石と宮沢賢治
河本緑石(本名:義行)は明治30年、今の倉吉市に生まれました。
大正5年4月盛岡高等農林学校へ進み、後に日本を代表する詩人・童話作家、宮沢賢治と出会います。
大正6年、同窓の宮沢賢治、保坂嘉内、小菅健吉等と同人文芸誌『アザリア』を発行し、互いに大きな影響を与え合いました。
緑石は卒業後故郷へ帰り、県立倉吉農業高校で教鞭をとる傍ら「砂丘社」の一員として俳句、絵画、作曲など多彩な才能を発揮しています。
大正13年、同じ農学校で教鞭をとる賢治から処女詩集『春と修羅』が贈られ、感動した緑石は詩集『夢の破片』を出版し、賢治の友情に応えました。
昭和8年夏、海水浴訓練中に溺れた同僚を救助に向かい、37歳で不帰の人となりました。緑石の死から2ヶ月後、賢治も亡くなるのですが、賢治の遺作『銀河鉄道の夜』で、溺れる友を救って亡くなる“カムパネルラ”は緑石がモデルではないかと言われています。
当旅館の女将は緑石の次女、御船道子です。館内には『カムパネルラ館』があります。


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藍の宿 鳥取県 三朝温泉
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