「ペニーレイン」とは・・・

ペニーレインとは、くらよしビートルズの活動に賛同したビートルズファンのおぢさんたちで、くらよしビートルズを応援している勝手連です。


メンバーより一言

前田
前田佳秀
ペニーレイン代表

"時は流れても"
 私がビートルズの曲を初めて耳にしたのは今から約四半世紀も前のこと。物心ついた唄、おじの運転する車の中で流れていたビートルズの歌声をそれとなく記憶している。当然、その頃はビートルズの曲としてではなく、英語の歌という認識しかなかった。
しかし、メロディーは幼子の脳裏に焼き付くには充分過ぎるインパクトを持っていた。
 やがて中学生になってビートルズのレコードを買うようになり、そして彼等四人に関する書物、映像ならば、何にでも飛び付いた。買ってきたレコードに針を落とすときの高鳴る鼓動。夜遅くまで、歌詞カードにつぱをとばしながら何度も繰り返しうたった日々。今でも忘れられない思い出である。
 現在、ビートルズの曲を開くための音源はFMのエア・チェックやレコード(アナログ版)ではなく、コンパクト・デイスクと称されるデジタル音源に取って代わり、扱いは便利になった。また、ギター・コードを憶えなくても、カラオケに行けばビートルズの曲を手軽にうたうことができる時代になった。だが、何かが欠けているような気持ちになることがある。心の底からわき上がってくるような何かが。その原困が一体、何であるかは私にはうまく説明できないが、愚思うに、無駄ではない無駄な時間を過ごすことや、心地よい生の音が少なくなってきたからではなかろうか。このような時代になったのだが、否、このような時代だからこそ生まれるべくして生まれたのが"Beetles"であろう。
 様々な時代の、どんな淘汰にも堪えうる逸品というものがある。それがビートルズのサウンドなのである。

 あるとき友人に、大胆にもBeetlesと名のるバンドが倉吉で活動していることを聞かされ、さっそくライフハウスに行ってみた。その日、Beetlesが演奏したのはBeatlesの曲ではなく、ベンチャーズや加山雄三の曲だった。しかし、そこで写にした「音」は、まぎれもなく私の憧れであるビートルズ・サウンドだった。彼らなら私の求めている「音」でビートルズの曲を聞かせてくれるはずと思い、次はビートルズの曲でコンサートをしていただけないものかと依頼させてもらったのが彼らと私の出会いである。

 それから月日が過ぎ、Beetlesは憧れのイギリスに行って演奏をし、そして音楽という媒体を通して国際交流を行うことになった。私が抱いた、ビートルズ・サウンドを生で聞きたいという夢がかなったように、彼らが抱いた、イギリスに行って演奏をしたいという夢がかなった。私は、この夢を共有できたことを幸せに思う。



萩原俊郎
ペニーレイン総裁

●ガニ股のジョン・レノン
 初めて彼らの演奏を見たのは、もう何年前のことだろう。
 「農業博の時のステージです。これ、母ちゃんが撮ったビデオです」。幾分照れながら、リンゴ・小西・スターは会社の休憩室のビデオデッキをセットした。いきなり「ヘルプ!」の大音響。「リンゴの母ちゃんのビデオ」は、応援に駆けつけた近所のおばはんや親戚の姿などに時々寄り道しながらも、スタンダード・ナンバーを歌う彼らを映していく。

 途中、僕がウームとうなったのは、実は歌でも演奏でもない。ジョン・中本・レノンの「ガニ股」である。マニアはご存じだろうが初期の頃、ジョンはガニ股を上下させながらシャウトしていた。「こいつら、なかなかいいセンいってる」。

 それから四人を見守り続けて幾年月。最近、髪を左右に揺りながらリズムをとるリンゴ・小西、うつむき加減で一人フッと笑うジョージ・穐近・ハリスンを見て、「お前ら完全にのりうつってるんじゃないの」と背筋がゾクッとすることがある。
これでポール・住吉・マッカートニーが流し目で女の子を悩殺すれば完ぺき、と注文つけたりして。

 でも次第にわかってくる。彼らの魅力は完全コピーじゃない。四つのまったく違った個性の出合い、はち切れんばかりの若さとパワー、家族や友人との優しいつながり(リンゴの母ちゃんのビデオといい、ライブハウスでふるまわれたジョージの母手作りのチラシ寿司!といい)。これぞ本物のビートルズが60年代たどった青春、そして僕やあなたが憧れていた青春そのものである。



鶴本豊樹
ペニーレイン企画部

 THE BEETLESと初めて出会ったのは、94年1月の、新日本海新聞社2Fでのオールデイーズライヴの時てあった。その時は、たまたま知人が、私がビートルズファンなのを知っていてチケットを譲り受けたのがきっかけであった。ビートルズマニアを自認する私は、単にビートルズの曲をやってくれるバンドならなんでもいい、倉吉のビートルズ?おもしろそうじゃないか。
という軽い気持ちで会場へ足を運んだ。しかし、彼らの演奏を聞くなり私は、ショックを受けたのと同時に妙に新鮮な印象を持ったのであった。私自身、結婚して子供もでき、30歳を過ぎて、今さらビートルズに熱中する年でもないなと冷めかけていたのだが、あの小学生の頃初めてビートルズを聞いた時の驚き、中学、高校の頃レコードを買いあさった時の興奮のようなものがはっきりと
甦ったのであった。

 それ以来、私は彼らのファンになり、米子の和光でのディナーショーも開きに行き、最後のほうのロックン・ロールでは、ステージの前で踊り出したほどである。彼らTHE BEETLESの魅力といえば、本物のビートルズがそうであったように、メンバー4人の個性が光っている事だと思う。よくあるライヴハウスの30代、40代のおじさんコピーバンドにはない、若々しさ、ハツラツとした演奏、独得の雰囲気がある。楽器もそうだが、音もよく研究していて本当にCDから飛び出してきたバンドのように錯覚してしまう。とはいえ、音楽は言葉で言っても伝わらない。熱心なビートルズファンはもちろん、ミッシェルなんか好きだわというバラード好きなお姉さん、今夜はみんなでTHE BEETLESのLiveに酔いしれ、踊ろうではないか!

OK,HERE THEY ARE THE BEETLES
あなたのイメージするビートルズがそこにいる。
(ビー吉)



井手添 誠・井手添 巧・井手添 泉
ペニーレイン顧問

 僕らが初めて出会った曲は、“オブラデイ・オブラダ”だった。しかし、オリジナルを聴いたのではない。NHK「みんなのうた」の中でフォーリープスが歌っていたのだった。まもなく、それがビートルズというバンドのカヴァーだという事を知る。でもその頃の僕らは「ビートルズ?ずうとるびの間違いじゃないの」(笑)というぐらいの認識しかなかった。しかし、ラジオで初めて本物のオブラデイ・オブラダを聞いた時、正にその瞬間から僕たち兄弟の中に”カブト虫たち” が住み着いてしまったのだ。それからというものFMで彼らの特集番組etcをエアチェックし、兄弟でお金を出しあって全ての曲を集めるまでになり、それどころか彼らは僕らのライフスタイル、価値観、人生観までも変えてしまったのだ。
 それから20数年がたち、僕らが出会ったのがTHE くらよしBEETLESだ。初めて彼らのライブの告知を見た時、「どうせよくあるコピーバンドの一つだろう。」ぐらいの気持ちで出かけていったのだが、ライブを見てショックを受けてしまった。彼らはレコードやラジオでしか体験できなかった“カブト虫たち”の魅力をまさにそのまま生で伝えてくれたのだ。僕らは感動し、そして彼らと友達になった。THE くらよしBEETLESには多々あるコピーバンドと決定的に違う魅力がある。それは、彼らにしか出せないガレージ感覚溢れるグル−ヴ感とユーモアセンス(笑)。ぜひそんな彼らの魅力をたっぶり味わっていただきたい。さあ今夜も彼らと一緒にツイスト&シャウトだ!!

ドラム

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