<へそ下三寸想>

**近年臍下臓器雑感帳

睾丸の巻 / 陰茎の巻 / 陰嚢の巻 / ヘアーの巻
  (ヘソ下臓器に関するエッセイ)

**ひとり一言

   (医者,患者,看護婦ほかの印象にのこるひとこと)  

**海外のゆかいな写真

   (注意:写真は容量が多いので時間がかかります)

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近年臍下臓器雑感帳

睾丸の巻ー  
                 


  泌尿器科は排尿と男性生殖器の異常を扱う領域である。要するにヘソ下三寸をカバーしているわけで”下半身に人格はない”と言われるほど様々な疾患、病態がある。これを臓器ごとに因数分解してみようというのがこの項である。手始めに睾丸から。
 
専門用語では”精巣”に統一され、”睾丸”という呼び名は21世紀には消える運命にある。女性の同じ機能をもつ卵巣にあわせた用語で、なんともなさけない響きになった。やはりタマを連想させなくては男の象徴の名にふさわしくない。ふんどしや猿股は睾丸を包むにふさわしいが、ブリーフ、トランクスのたぐいは精巣でお似合い。衣装の女性化は遂に解剖用語の変更にまで及んだ。時代の趨勢なのか、ふんどしシンパの私は断固睾丸に固執する。

  睾丸の働きは精子を造ること以外に男性ホルモンをつくることが重要である。男性ホルモンは筋骨たくましいシュワルツネッカーのような男らしさを作り、性能力を維持する。男の象徴たる所以である。男性ホルモンを人工合成した薬品は、昔の東ドイツの女子水泳選手やカナダの短距離走者ジョンソンに投与されていた疑いがある。逆に睾丸を摘出するとふくよかな女らしい体になり胸も出てくる。好んでこの手術を受ける男がいるから世の中わからない。東京赤坂ではこの種の男達のショウが観れ、ゾクゾクするような美女(?)の群舞は一見に値するという。このショウがいつも満席だから世の中またまたわからない。

  仕事上やむをえず睾丸を摘出された人達もいる。昔の中国の官吏である。王宮勤めの最中に皇帝の側女に悪さをしないようにとのことで、宦官という。まさしく男性のシンボルとひきかえに立身出世を得たのである。”男の魂”と引き換えに自らの体に傷をつけることなく営利営達の道を驀進する現代の官吏に比べれば、中国の宦官の方をよしとせねばいかんか。

  睾丸の機能は二つ有り,いずれも脳にある脳下垂体のコントロールを受けている。この命令系を遮断すれば睾丸の機能を短期間ストップすることが出来る。男性ホルモンをつくる機能を遮断する薬は,男性ホルモンに栄養される前立腺癌の治療に全世界で使用されている。一方,睾丸の精子を造る機能に与える命令だけを遮断する薬も開発されつつある。これが出来れば理想的な男性の避妊薬になるが、ある種の道徳的混乱は十分予想される。新しい薬品にしろ科学技術にしろ、その使い方は人の常識をたよりに世の中に出ていくが、常識の備わってないヒトがどれほど多いことか当局は御存知ない。携帯電話の節操のない使われ方がよい例で、マナーを守ろうなんてのは使ってる輩の一割もいるまい。

  オトコにとってシンボルともてはやされる睾丸も、その実体はあくまで脇役にすぎない。義経には弁慶、東京には埼玉、冷やし中華にはもやし、寅さんには笠置衆、と古今東西脇役は常に主役の影にいる。睾丸曰く「男根やおいらもいっしょに入りたい」と言わしめている

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陰茎の巻その1ー              

  「朝立ちや小便までの命かな」この句に男性の解剖はすべて言いえてる。女性と違って尿路と性器が一緒になっているのが神様のいたずらである。尿路と精液の通る道筋が、アルファベットのY字型に合流する。しかも体の表面から出っ張っているから、一日何度かは握りしめ、つまみ、ながめることになる。日頃大変お世話になっているにもかかわらず、その本体については余り知られていない。書く材料が多いわりには、書かれたものが少ないのである。表現に困るのことが多々あるため、誤った知識が蔓延し、生まれてから死ぬまで何かとトラブルの種になる。そこで不肖、泌尿器科医の私は書く。

  生まれるとすぐに男女が決定される。外観上その決定の唯一の根拠であるから、顔も手足もそっちのけで、この世に生を受けて最初に注目される場所になる。大きな期待がかけられることもしばしばで、その存在の有無によっては一同ため息になる。おそらく当人は周囲に歓迎されていないと感じ取り、当然いじけ、泣きわめくのである。生後わずか数秒で人生最初の試練となる。

  若い母親は生まれて日も経たない我が児の持ち物の大きさや色つや形がよほど気になるとみえる。特に大きさには敏感で、”小さい”との訴えで外来を訪れる。こんな母親には”ダンナと比較するな”と言うことにしている。

  大きさに関心があるわりには、包茎に無頓着である。こどもはみんな皮をかぶって仮性包茎になっているが、この皮をめくって頭がのぞくかかどうかの判定だけは早めにつけたほうがよい。”こんなふうになるって知らなかったワ”とうそぶくのが結構いる。こんな母親には”毎晩、何やってるんだ、ダンナのをよく観察しろ”と言う。

  若い母親の我が子にたいする育児の熱心さには頭が下がる。出産前から乳児の育て方まで、一生懸命である。育児の本も、専門家の指導も完備している。この時期の母親をみていると世の中バラ色である。しかし、子供に自我が目覚める頃にはその熱心さも急速に冷めていくようだ。本もなければ指導する人ももなく、行き詰まれば投げ出すしかない。なりふりかまわなくなった母親は正体を見せてパチンコ狂いだ。父親も同じ。子供は両親の正体を見、やがて同じことを繰り返す。どこかが間違っている。

  尿路と性器が一緒になって出っ張っているため、男の子は”性器の謎”に早くから関心を示す。なにせ小便の道具にもなっているものだから触れる機会も見る機会も女の子とは比較にならない。当然、女の子の性器への関心も芽生え、とどまるところがなくなる。一触即発の危機にある。自分では避けられない男の生理、解剖上の性差からくる正体である。母親、姉妹、恋人はこの正体を知っていなくてはいけない。知らないから間違いが起きる。男も知らせたいが正体をうち明けるには勇気がいるので誰も言わない。だから言う。この時期のどうしようもない衝動と自制は思春期最大の難関である。おおげさに言えば生まれて始めて自分の力だけで克服できる試練である。この難関を簡単にゆるめのが最近の傾向で、一部のおとなはこれを金儲けの対象にする。アダルトビデオや猥せつ漫画の大洪水だ。表現の自由だなんて言わせるな。

  乳幼児期は親の関心の的になり思春期にはもてあます存在が、大人になると第三者にトラブルを引き起こすやっかいな臓器となる。少し力が入った今回から、「女房湯にやり、亭主酒」に関する話題は次号で。


ー陰茎の巻-その2ー     

  「己が手を女房にする独り者」と男は便利にできている。青春時代の度真ん中、ほとんどが自前の世話女房に厄介になる。これも度が過ぎるとご用心。’ぽきっ’と音がして折れることがある。真ん中辺りが内出血で腫れあがり、グロテスクな姿になって救急外来に飛び込み、陰茎折症という診断名をもらうことになる。もちろん即手術である。

  己が手だけでは物足りない連中もいる。激しい排尿痛と血尿を訴え、薬を処方しても帰ろうとしない。こういう連中にはレントゲン撮影が必要で、写真に膀胱内の電気コ−ドやヘアーピンが映ってたりする。10才の子供で裁縫用のマチ針を入れてきたのもいた。医学的診断は尿道異物という。東北の農村で隠元豆を入れた若者を手術したことを時の病院長に話たら、”あれはいいんだよなー”と言われた。この方面には老若問わず、よく知恵がまわるわ。

  一時は思春期の身心の発育を妨げるものとして嫌われ者であったが、最近は脚光をあびている。欧米では推奨されていると聞く。なぜか。エイズ対策である。3年前、ボストンで会った友達の皮膚科のドクター曰く”エイズの予防はsave sex, single sex, soule sexのスリーS しかない。若い連中には自分で始末させる”。もっとも、未婚の母と性病に手をやくアメリカで、前医務長官が高校生におのが手による処理法を教育すべしとクリントン大統領に進言したところ、即刻解任された。宗教上の問題らしい。

  アメリカで”エイズはコンドームで防げるが肝炎は防げない。”と書かれたポスターを数多く見た。コンドームで性行為感染症(STD)を押さえ込むのは所詮”臭いものに蓋”なのである。こんな蓋がいかに幻想かは泌尿器科外来にくるSTD患者をみれば吹っ飛ぶ。なにせ鳥取市内にもりっぱな供給源があり、コンドームを使う輩は皆無。ヨーロッパでは性行為に起因するエイズが”同情に価しない病気”になった途端、感染頻度が降下しつつあるという。品性のない病気に手厳しい国柄である。救済キャンペーン等も冷めた。身に覚えのない他の難病に苦しむヒトが、地球上溢れるほどいるのだ。

  西洋ではシューベルト、ニーチェ、ハイネ、日本では徳川家康、大石蔵之助いずれも放蕩三昧がたたってSTDに倒れたと聞く。こういった品性のない連中がやられるのはザマー見ろだが、影にかくれた被害者はいつの時代も女性で、その結果は悲惨だ。すべて男の臓器一本に責任がある。病気だけではない。分身が出来たりすると残酷だ。家康は地方の大名にくれてやったらしいが、現代ではそうはいかない。フィリピンにはこうした日本男児の子が数万いるとか。多くはヒトをしあわせにするが、使い方を誤ればヒトの一生をもてあそぶことにもなる珍しい臓器である。

  刺激を受けても「今はただ小便だけの道具なり」となれば威勢のいいことも言ってられない。たそがれを迎えた時のひと騒動は次回。


ー陰茎の巻-その3ー 

  「目は眼鏡、歯は入れ歯にてことたれど」俳人小林一茶のように54才で1日3回連続7日の記録を残す豪の者もいるが、歳とともに靴ベラでも使いたくなるような心境になっていくのが俗人。「あきもせず、同じ女房と同じこと」定食ばかりでは箸を持つ手に時間がかかる。「三千世界のカラスを殺し、ぬしと朝寝がしてみたい」うらやましいなあ、ア・ラ・カルトに明け暮れた高杉さんちの晋作君は。

  眼鏡、入れ歯に相当するものにアメリカ直輸入のシリコン製人工樹脂を入れる方法がある。いつも出動状態なので少々じゃまなことが問題。見栄をはってアメリカ人サイズのものを入れたりすると、使用中に先端から突き抜けてしまうこともあるらしい。形状記憶合金でうまく延び縮みさせようとのアイデアもあるが、事の最中に突然収縮することがあり、いたく相手の心証を傷つけるとか。

  治療の目的で根元から切断することがある。癌の場合だ。切断後、代用のものを本人の骨付き筋肉で作って移植する。天然素材だ。45才の患者は、ナマコに似たグロテスクな外観に最初がっかりしたようだが、2年後に彼の妻が外来にきて曰く゛女が寄り付いて離れない。愛人も2人出来た。切り取ってください゛と。十分使いこなしている様子にうらやましいやら気の毒やら。72才の患者には代用品の移植を躊躇したが、本人が言うには゛なくなってしまうとゲートボールのときカッコ悪い゛と。手術後、プレー中の股間のモッコリが同世代の御婦人に好評とか。主治医一同、納得。

  自前のものを元気にさせる薬は秦の始皇帝から毛沢東、ヒットラーに至るまで、古今東西歴代の独裁者が狂って求めた。敵軍は言うに及ばず、同胞親族縁者に殺戮のナタをふるった偽政者の最後のあがきはいつもこれだ。どっこい神様は我等が見方、最近の研究は秘薬をわれら庶民のものとした。原因疾患にもよるが海綿体への局所注射で元気モリモリになるのだ。残念ながら日本の厚生省は未だ認めていない。官吏には熟慮で慎重居士、聖人君子が多いのだ。震災、薬害エイズ、O-157、いつもこれだから怒るんだ、国民は。黙祷。

  気象異変の今年、鳥取には大雪2回。白銀の早朝、旧袋川の土手は見事な光景だ。なにせ湯所橋から丸山橋へのわずか300mの間に湯の気だつ犬のクソが27個だ。見上げた心構えだよ、城北地区の愛犬家。文句言いたいが、焼き殺されて久松山に捨てられるのが嫌だからこっそり書いた。川の水も濁り果て、都会の墨田川や道頓堀川に遠く及ばない。犬糞にまみれたドブ川が市街を流れるウンコ鳥取ホットケ鳥取か。落涙止まずだ。

  こうなりゃ地域環境問題は手早い仕事と実行力を誇る地元議員さんとお役人にまかせ、我々はひたすらヒュウマニズムとテクノロジーに裏付けされた医学的サイエンスを求め、臍下3寸に没頭するしかあるまい。「ほころびるわけでないのに、縫い目あり」次回は袋の話だ。ホームページへ


陰嚢の巻ー     

  相撲は子供の頃の最も手軽なスポーツであった。小豆島に巡業が来た時、お寺の稽古場を悪ガキ連で見学していたら風呂に誘ってくれた。ワイワイガヤガヤ、一緒に入った関取が出ようと背をむけて湯舟から立ち上がった。首まで湯につかった我々の目前に、関取の両大腿の間にぶらさがった巨大な袋が水面から現われ、その先端からザーと湯が伝って流れた。絶句、一同沈黙のまま帰宅。その日の夕食どき、この光景が村じゅうの話題にあがったののは言うまでもない。関取の名は大内山といい、今のジャイアント馬場に似ていた。

  柔道は下半身が不潔になる。高校の夏の合宿ともなると、日に三度の練習で、汗でぐしょぐしょの乾き切らない柔道衣を着用する。衣のクサいことこの上ないが、それよりもひどいのがインキンだ。ほとんどの部員が大腿部から袋にかけてこれにやられる。とにかくかゆいのだ。タムシチンキなるあやしげな薬を塗って治療するが、これがむちゃくちゃしみる。あぐらをかいて座った先輩の股ぐらに薬を塗り、うちわでバタバタあおいで痛みを軽減させるのが下級生の仕事であった。昨今、女子柔道が盛んな折り、アトランタ五輪銀メダル´柔ちゃん´もこれを患っているのかな。想像してしまう。

  ボートに狂った大学時代、後輩の富山から来た農学部の男が曰く、″合宿の朝飯に混じっているコメに線の入ったのは何ですか、なんだか陰嚢の縫い目に似てますね″″あれは麦だ、知らないのか田舎育ちのくせに″。彼は、今、米国シカゴの穀物取引所で日本向け輸入用小麦の買い付けをやっている。この男は女性に産道のあることも大学に入るまで知らなかった。夏の合宿時、解剖学の教科書を持ち込み、骨盤臓器の部を開いて懇切ていねいに教えた。合宿が終わるころには分厚い本を開けようとすると、黒ずんだこのページがバタッと自然にめくれてしまうのには参った。

  スキーのメッカ、八甲田山は初夏がシーズン。遠く津軽湾を見下ろす大岳に徒歩で登り、頂上から麓の酸ケ湯温泉までひと息の滑降こそ男のスポーツ。夕食前、薄暗い湯治場で医学部の同級生4人と腰掛けに坐って汗を流していたら、突然うしろから熱い元湯が床を流れてきた。3人はアツイ!といって足をあげたが、ひとりは陰嚢にやけどした。窓外の雪で局部を時間をかけて冷やした。卒業後小児科医になった彼にはこのときの金冷が効いたのか、年子の女の子ばかり4人いる。彼のあだ名はタヌキンであるが、奥さんも娘達もあだ名の由来は顔がタヌキに似ているためと信じて疑わない。

  思わぬ天災、狂った宗教、私利私欲の官僚さらにO-157など、神武以来の国家的危機の最中にこんな内容をつらつら書き続けるのもつらい。次回の番外編は「月見る頃に土手にススキはえ」でもって´ヘアー´だよ。
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ヘアーの巻

         
  ミュージカル”ヘアー”はベトナム反戦をテーマにした傑作。題名から何やら期待したむきにはつまらない。男女スッポンッポンでヘアー丸出し、舞台狭しと踊りまくるのは”オー、カルカッタ”。ニューヨークのブロードウエイ通りに行くと、劇場の屋根に大きな看板が出ているのですぐわかる。カタカナで書いてあるからだ。観客のほとんどは日本人団体で身をのりだして見ている。ストリップとまちがえているだ。

知り合いのドイツの医者の奥さんは映画スターのような金髪美人。夏の夜、病院主催の古城ダンスパーテイーに呼ばれ、ジルバを踊ろうと手を差し伸べてびっくりだ。ワキの下に金髪ヘアーがモジャモジャ。家内にたずねさせたところ、ワキのヘアーを剃るのは”その種”の女性だけだと。家内は以後、長袖で当地の夏を過ごした。

  アメリカの日本人に口髭をのばすヒトが多い。子供にまちがわれるからだ。注意しなくてはいけないのがホモの連中で、どういうわけか女性役はヒゲをはやしている。彼らは日本食好みだから邦人でヒゲをはやしているとねらわれやすい。留学から帰った某助教授が口髭をそらないので尋ねると”女房が許しません”と一言。いろいろヒゲにも使い方があるらしい。

  金曜の夜、ボストンのシングルバーに行くと、夜の相手がいない独身族の男女でごった返す。同じようなバーが六本木にもあり一見に値する。特に相手を必要としない女性は髪飾りを付けることになってるという。病院の婦長クラスのキャップについてる黒線をみると、この光景を思い出す。ところで職場の階級をこれみよがしに標榜してる職業にまともなものはないと思うがいかに。婦長さん、ネームプレートでは不十分な理由があるのでしょうか。

  キャンピングカーで南ヨーロッパを巡る途中、地中海のコートダジュールに立ち寄った。家内がどうしても水着で散歩したいというので、近くの洋裁店でビキニを購入した。極端なVカットで納めるべきものがなかなか。やっとのことで浜辺に行くと、ほとんどの女性がノーブラ。ヘアーの2,3束の露出ぐらいどうということはなかった。10年前の話だ。当時ヨーロッパのオートキャンプ場はほとんどの都市や観光地の近郊にあり、パリでは都心の病院までキャンプ場から通えた。日本との違いは若者の姿はついぞ見かけなかったことだ。オートキャンプは熟年オトナ、紳士の楽しみなのだ。

  白髪が情容赦なくテレビで映されるのは残酷だ。田中邦衛、永六輔、渥美清など、みな青年期のはつらつとした印象が未だ残っている連中である。しかしこの連中が、壮年期に入って’いい仕事’をしている。田中邦衛のドラマ’北の家族’、あの二人の子供の輝くばかりの演技を引き出す力はなんだ。永六輔は自分で作詞した”遠くへ行きたい”を手話で演じた、伴奏つきで。あれをみた良識ある人は、二度とカラオケはやるまい。いずれも価値ある無言だ。渥美清は惜しまれつつ無言の人に。よって、このコーナーも静かに幕を下ろすことにする。チョーン。                ホームページへ




   

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