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映画大好きな人も
これから好きになる人も

運営委員代表 金沢 瑞 子

かなざわ・たまこ


 この何日か不思議な思いにとらわれています。

 「倉吉シネマクラブ」が名乗りを上げて半月ですが、思いの外マスコミを刺激していることです。 映画の製作グループでも出来たならともかく、映画館の無い所で、ただ映画を観ようではないか、ということなのに。
 マスコミは宣伝して頂くためには有難いことなのですが、取材する人たちの質問の内容にはおどろくばかり。
 “何のために・・・”“何が目的ですか”“何が動機で・・・”“彼方が言出し兵衛ですか・・・”とたたみ込まれる。“私が観たいからでしょうね”“映画を観るのに、目的がいりますか”“映画館が無くなって、もう久しいですから”“自然発生的でしょうね・・・”と、考えながら応じていくと、非常に言葉があいまいで歯切れが悪い。

 そのうち、彼らの問いの背後には或る回答を引出す目的があることに、ようやく気付くわけです。
 例えば「映画館再建への促進運動とか、地域の人たちに対する文化運動のひとつ」であるとか。そして次には、“四百人の会員が目標とありますが、集まりますか・・・”(本当は無理では)“いまいちばん苦労していることは・・・”(心配でしょう)と、腹の内の声が聞こえて来ます。
 “いや、何も苦労していることはありませんし、わくわくして楽しい気持ちです”と応えながら、私はよほど楽天家なのだろうか、とふと思ったりします。そして、目的を揚げた、政治につながるような集団はもう沢山、と言いかけて黙ってしまいました。
 結果として、地域の映画好きの人たちには喜んで頂いています。その他、結果としてこれから先、何かが生まれて来るかもしれません。何かが変わって来るのかもしれません。が、いまはその期待すら無いことにおどろいています。

 先日の大震災の規模を、なすすべもなく、幾日もテレビでみながら思いました。あの町には、あった物が無くなったけれど、私たちの町には、もともと何も無いのだ、と。それは「豊かさ」に対する価値観の違いを思い知らされることでもありました。そして焦土の中で、誰の力も借りないで、瓦礫をかき起こし、残された物をさがし出そうとしている人々の中に、「個」の人間がもつ力の執念をみたと思いました。そして私の中では、これから続けていこうとしている「倉吉シネマクラブ」と重なってみえました。
 私たちの仕事は、愉しみは、都市型の繁栄の中ではずっと昔に姿を消してしまった種類のことかもしれません。すでに風土は瓦礫に近いのですから。私には、その中で呼び合う人の声が聞こえて来ます。

 中学生も高校生も、そしてお年寄りも“とっておきのシネマで会いましょう”。

倉吉シネマクラブ会報 Vol.1 1995年3月15日号より