最終更新日2012/05/18
河本緑石・自由律俳句の周辺 押 本 昌 幸
2007.3.31 14:00〜 倉吉市交流プラザ
出会い ……緑石の亡くなった(1933.7.18.10:30)地…八橋
ペガサス主催「しのぶ会」八橋・中井旅館( 1952.7.20)
倉吉おや子劇場第3回自主公演 (1982)『―緑石と賢治没後50年―星めぐり』
通説の「緑石観」の変更(「賢治の傘」からの独立)
井泉水『大山』の「序」・村野四郎『夢の破片』評 → 「ある手紙」・兵役中の「詩集」・
交流雑誌・
『大空放哉傳』…
『大空放哉傳』の価値
a 放哉研究書
b. 『放哉傳』に投影された緑石像
自由律俳句作品( cf.「随句」)
a 俳句の出発
薔薇色の空に一つの星が尊くひめありぬ 1914
草を分くれば光ありしみじみ夕べ1915
b. なぜ自由律か
投げられし石寒き水面をぺんぺんと飛べり1914
疲れし身に砂丘円し油のやうな海 1914
そと灯出せば闇を嘗めをる蛞蝓よ 1915
夕日染みて働く手よ夕陽ちらばる黒土に 1915
c. 賢治との出会い『アザリア』
堤行く女に雲影静か動く昼 1916
光れりその影の円き畳かな 1916
死束ねもつ男ふいと風の中 1917
土に喰い入る鍬にて蛙死にけり 1917
まどろみ深き病人に薬買うて来し 1918
とろろとろろ海鳴る昼のさかな売り 1920
d. 「ある手紙」…「砂丘社」…前田寛治
青み渡れる海を見て飯がつめたい 1921
鍬をそろへて山畑の春日うちかえす 1921
畑の人等にまだ暮れぬ海のいさり火 1921
入営中の詩集『なやめる樹』 1921
私も一緒に悩んでゐる
村々や町々から徴集せられた青年達
君等の若い血は躍らない
君等の若い心は伸び伸びとしない
それどころか君等は怖れわなないてゐる
何がかくまで君等を怖れさすのだ
君等はふるへてゐる
君等は孤独で寂しい
君等はなぐさめがない
君等の自由の最後の時間までがうばはれた
君等の意志はめちやめちやにくだかれた
君等は小指ほどの反抗も与へられない
君等は時に正義さへうばはれる
君等はなやみどうしだ
君等は寂しさに泣いてゐる
君等は苦しみにうめいてゐる
おゝ、凡ての近親者凡ての暖かきものに別れて来た君達
私は君達を見るに堪へない
また、
或る時は大杉堺の獄中記しみじみ読みて見たりき 1921
e. ヒューマニズム
一ちやうの鍬を命とし土に生きる 1922
電柱暗く続き高原の雨しとしと降る 1922
死を見守る蠅とその蠅の影 1922
酒ぞんぶんに飲み泣いてゐる百姓 1922
蛇を食べよう山人らそこに火を作る 1923
f. 表現主義ふう
『層雲』史上での位置づけ
光すらすら人間に追はるる蛇 1923
冬の夕焼けさびしい指が生える 1925
私の胸の黒い夜沼の蛇だ 1925
ほうと百姓雀追ふた 1926
魂に眼があるきよとんとしてゐる 1926
荒海の屋根屋根 1926
暗い空の雪風に眼がゐる 1927
死んで俺が水の中にすんでゐる夢だつた 1927
狂つた時計ばかり背負はされてゐる 1927
g. 周辺の死→存在を見つめいる句(ゐる句)
宮澤とし 1926.3・尾崎放哉1926・4・前田寛治1930.4・河本順子1931.6.・世界恐慌1929.10・満州
事変1931.9
風がおとすもの拾ふてゐる1929
風はれるとする谷川へ散る葉 1929
つぷつぷ空乳すつて生まれてゐる 1930
星、みんな消えてしまつた頂上に座る 1931
竹の枯葉の散る子の墓に屋根する 1932
麥がのびる風の白猫 1932
椿落ちてゐる雀下りてゐるふんすゐ 1932
蛍一つ二つゐる闇へ子を失うてゐる 1932
なんとしても逝かせたことが、夫婦でゐる 1932
山陰の風土(古代出雲・伯耆)が生んだ誠実な俳人
文学上の改革期には県人が(香川景樹・阪本四方太・田村虎蔵・放哉・村田薫吉・稲村謙一・杉原一司など)・今村実「ある諦念」・山下清三「偉大な憂鬱者」
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