倚子の会 河本緑石 八橋(やばせ) PTAについて 押本電波(休) なぜ倉吉西高なのか 

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    最終更新日2012/05/18

    PTAのParentとしてのページ

西高のなくなる日!?

  県立高等学校の在り方について

   PTAは高校のサポーター

     (高校野球)応援メッセージ

    押本昌幸(AB型)といいます。現在(平成20…2010年12月)、倉敷市立短期大学保育学科卒で倉吉市市内の県立児童養護施設に勤務…(女…B型)、愛知県立大学文学部国文科(夜主) 卒(男…B型)、横浜国立大学教育人間科学部 卒(男…AB型)・ 倉敷市立短期大学保育学科卒(女…A型)の子の親。おっと、妻(…A型)がおりました。県立 米子養護学校に勤務(本人は天職だと思っている)です。PTAの平会員としての立場から教育を考えたい(…2005年度倉吉西高PTA会長でした)。

    「倉吉西高通信」(2005.12.20発行)から

     西高のなくなる日!?(元原稿…一部修正して発行)

8月20日の朝刊に、県教委の方針として、鳥取西など県立高校四校で、2007年度からそれぞれ1学級減らすと出ていました。中部では、倉吉西が1学級減。08年度には倉吉総合産業が1学級減。その後9月に明らかになったのは、鳥取中央育英の体育学科を普通学科に変更する、ということでした。

これらの「高校改革」は、中学校卒業者数が05年度と比べ07年度には約70人減少することから予測されたことではありました。また、県教委の当初の説明では、中部は東西部に比べ普通学科の割合が専門学科より多いため、普通学科を減らすとのことでした。現在中部では東高が6学級、西高が5学級、中央育英高が体育学科を含めて5学級であります。

だとすれば、ふつうだと学級数の多い東高が対象になるべきです。にもかかわらず、西高と総合産業高と1学級減なのです。このことについての県教委の説明では、東高は需要が多い。西高は定員割れも起こしている。中央育英高は赤碕高との合併時点で3学級をしている。したがって、産高と工業高と合併した総合産業高も定員にだぶつきが生じるので、西高と総合産業高が今回の2学級の対象ということでした。

今回で西高は4学級体制になります。現在、県立高校の小規模高は4学級が(維持可能な)最低ラインです。06年度は、例外的に岩美高が3学級になりますが、4学級体制の次は高校の統廃合の対象になります。次の3ヵ年(08年度から10年度)には、中部ではさらに約100人中学校卒業者が減ります。とすれば、また2〜3学級減らさなければなりません。問題はその時どこの高校が対象になるのか、であります。場合によってはこの時点で西高の統廃合の話が出てくる可能性が高くなります。背景には県内の普通学科を大学区制、つまり、県内どこからもどの学校にも通学できるようにしようとの考え方もあります。人気のある高校、便利な高校が有利になります。

いま普通学科でJRから一番遠いのが倉吉西高です。西高の特徴は「生徒憲章」と「単位制」です。このうち、「単位制」は、小学級だと科目数の維持が難しくなります。「生徒憲章」はどうでしょうか。たしかに、西高の雰囲気が好きで通っている生徒・保護者は「生徒憲章」に関心は高いものの、この「生徒憲章」が学校外にどう見えているのか、見えるように努力しているのか問われてきます。「生徒憲章」による西高らしさがないのならば、普通学科として、西高は第二東高でしかありません。

「生徒憲章」が出来て20年。もう一度「生徒憲章」創設の原点に返って、西高のあり方を考えてみなければならないでしょう。そうでなければ、「高校改革」の名のもとに、倉吉西高は、戦後の混乱期「倉吉高校」というのがあったように、吸収合併=廃校にならざるを得ないでしょう。皆さんの母校がなくなる日、創立100周年がそうならないように願いたいものです。

そのためには、卒業生となりゆく生徒の皆さんとその保護者が、倉吉西高のあり方をもう一度考える必要があると思います。もし、「生徒憲章」がその支えであるならば、それを外部に向かって目に見えるようにもしなければなりません。そしてそれら「県民の声」として県教委に訴えていかねばなりません。

    平成18年度以降の県立高等学校の在り方について(県教委に対するパブリック・コメント) 

琴浦町八橋 押本昌幸(倉吉西高等学校PTA会長)

先般の新聞報道と併せ、鳥取県教育委員会の、「平成18年度以降の県立高等学校のあり方」について拝見しましたところ、私ども倉吉西高の、その在り方について、若干の危機感……将来的な廃校の可能性を感じましたので、ご意見申し上げます。

4学級になれば整理統合の瀬戸際になるという危機感

その危機感とは、「在り方」に述べられているように、中部地区では、「学級減、2」「職業科・普通科の割合が東・西部に比べ普通科の比が高い」というコメントです。

「普通科の比が相対的に高い」ということは「普通科の学級減」の可能性が濃厚ということであり、具体的には倉吉東(現6学級)・倉吉西(現5学級)・中央育英(現4+1学級)の3校が対象になる、ということです。均等減ということであれば、倉吉東・倉吉西各1学級減で、倉吉東(5学級)倉吉西(4学級)中央育英(4+1学級)になろうかと思います。

問題は、次の3ヵ年でどうなるか、ということです。現在、県教委では高校の適正規模は4学級以上だと思います。体育学科のある中央育英は、仮に次の3ヵ年で普通科1学級減になるにしても、体育学科とで4学級が維持できますが、倉吉西ならば3学級に、倉吉東ならば4学級になります。つまり、「平成18年度以降…」で普通科2学級減になれば、廃校予備軍として最も可能性の高いのが倉吉西となります。もっとも、1学級の定員減での対応、ということもありますが、その可能性については今の段階では触れられてはいません。

倉吉西高は地理的条件が不利=学校間競争で不利

「通学区域の在り方について」という議論もありますが、今後の各高校間の運営が、東京都などのように単純競争になるならば、地理的条件から、中部普通科3校のみならず、県内公立高校では、倉吉西高が非常に不利であります。

JRの各駅からの距離が、中央育英は徒歩5分(?)程度、倉吉東は徒歩40分(?)バス5分程度なのに対して、倉吉西は徒歩80分、バス18分もかかり、県内公立高校では、寮のある倉吉農高の次に遠く、バス7分の米子高校よりも遠い、いわば、県内で一番JRの駅から遠い高校です。

かつて、倉吉市の中心部は西地区にあり、前身の倉吉高等女学校はそこにありましたが、漸次東に、そして北地区に移動しました。にもかかわらず倉吉西高は、1974年、衰退していく西地区のさらに西に移転し、その上、1985年の倉吉線の廃止によって、地理的不便性は決定的なものになっています。これが、将来、高校の統廃合が実施されんとするときに、この地理的条件の悪い倉吉西高が廃校の対象になりやすいのではないか、という危惧にもなっています。 

現在でもJRを利用する生徒は、その多くが倉吉駅から自転車で3,40分以上かけて通学しています。バスは通学定期券でも月1万円くらいかかりますし、駅への最終便は午後7時には出てしまいます。部活動をする生徒は、そのバスにまず間に合いません。

前身が「女学校」=男女共同参画を推進やすいことと「生徒憲章」の存在

そんな立地の悪い倉吉西高ではありますが、毎年の生徒たちは、JRの列車や自転車を乗り継いで通学しています。県下最低の地理的条件のなかで、倉吉西高が存続しているのは、生徒・保護者・教職員の倉吉西高への強い思い入れがあるからだと思います。

ひとつは、母体が中部唯一の女学校、女子校であったこと。もうひとつは、松本重徳・高多彬臣両校長時代に確立された「生徒憲章」の存在だと思われます。

現在の保護者のほとんどは、共学世代だと思われますが、それでも「女学校」であったイメージはもっていますし、保護者の親の世代はもちろんです。現在も生徒の男女比は4:6くらいで女子が多いのですが、これら前身が女学校ということが、社会的な意味での「母性」=包容力(飯塚クリニック、飯塚浩氏)を醸しだし、倉吉西高の「自由」な雰囲気の基になっています。その中で、生徒が男女とも、お互いにその人権を尊重しあうことができます。この21世紀、「男女共同参画」が望まれる時代にあって、生徒・保護者・教職員が「男女共同参画」を最も受け容れやすい土壌のある、「やさしさをもつ」学園であるということです。

また、昨年度20周年を迎えた「生徒憲章」は国内でも希少な学園の方針でもあります。

1. 私は志を立て、目標に向かって全力を尽くします。

1. 私は心身を鍛え、明るく健康な生活をおくります。

1. 私は自由を尊び、言動に責任を持ちます。

1. 私は友情を深め、ともに生きる心を大切にします。

1. 私はこの学園を誇りとし、地域社会の信頼に応えます。

    1.私は常に進取の精神を持ち、視野を世界に広げます。

以上のような内容ですが、これにより「校則」はありません。そして、これが社会的規範としての「父性」(前述、飯塚氏)となり、「たくましさ」として、生徒の自由を保障し、自律性を重んじる校風の礎となっています。そのため、毎年新たに入学した生徒、教職員が「生徒憲章」の研修を受けています。

この「生徒憲章」を具現化しているのが、同時期に誕生した弓道部の活躍です。倉吉西高に入ってから始めた生徒たちが、あたかもこの「生徒憲章」に則ったかのように、自由な雰囲気の中で、スポーツとしての弓道を、立志、研鑚、鍛錬、実行し、今や、鳥取県の国体を支えるといっても過言ではないくらいの活躍を(特に団体戦では)しています(もちろん他校の生徒も大活躍していますが)。

「21世紀鳥取県教育ビジョン」のなかで

さて、このような倉吉西高なのですが、さらに続くであろう生徒減のなかで、廃校という可能性については、県教委の方針如何、とも言えなくはありません。そこで、このたびの

「平成18年度以降の県立高等学校の在り方について」でありますが……

「……在り方を検討する必要性」の中で、「様々な社会の変化や生徒のニーズを見すえながら…」とあります。確かに状況に対応する、ということは大切でありますが、一方で、鳥取県として、どのような高校生を、どのように育てていくのか、という方針が示されるべきだと思います。つまり、「21世紀鳥取県教育ビジョン……やさしさとたくましさを併せ持つ子どもたちを育てるために」の発現です。

高等教育のタイプ……自由競争の「アメリカ型」のなかで

高等教育の流れには、大雑把に「教育と富との結合したアメリカ型」と「アカデミックなヨーロッパ型」があると思いますが、戦前は「旧制中学校」に代表されるような「ヨーロッパ型」、戦後は大衆的な自由競争の「アメリカ型」だろうと思います。

本来の「ヨーロッパ型」ならば、高等教育は将来、国や地域のリーダーになろうとする人や学術を究めようとする人が受けるべきものであり、したがって学費も無料という社会的存在だそうです(岡本薫著『教育論議を「かみ合わせる」ための35のカギ』2003年、明治図書)。

また「アメリカ型」はスポーツも含めたエリート育成教育(マイケル・ムーア監督の『ボウリング・フォー・コロンバイン』のDVD付録本『M.M.M.M.〜マイケル・ムーアを撃つな!』に詳しい)であり、かつそれが「アメリカンドリーム」を頂点とする、富と結びつく教育制度であろうと思われます。その単純自由競争原理の世界は、例えば森永卓郎氏の『年収300万円時代の経済学』(2003年、光文社)で述べられているような「100倍の所得格差が現実化する社会」であります。

今の日本は、急速に、その「アメリカ型」の「100倍の所得格差が現実化する社会」を目指し、教育も「100倍の所得」を得る「勝ち組」をつくろうとしているようにも見えます。

これらは、先の「21世紀鳥取県教育ビジョン」の「やさしさとたくましさ」とは、およそ相容れない方向であります。もっとも、否、そういう時代だからこそ、「やさしさとたくましさ」が尊重されなければならない、とも言えますが……。

「普通科」比を増やすべき

とは言いながら、現実には、昨今の鳥取県の高校入試状況を見ると、一部の進学校に受験生が集中し、無理してでも、運がよけりゃ、その進学校に入りたい、という傾向が年々顕著になりつつあります。これはやはり、国内の「勝ち組」志向が、あるいは「負け組」への不安が、県内の子どもや保護者にも蔓延しつつある証左であろうかと思われます。

私は、個人的には、現在の高等学校制度が「アメリカ型」高等教育である以上、希望者全員入学……「普通科」が望ましいと考えていますが、今回の「教育改革アンケート」に見られるように、保護者、中学生とも「普通科」志向が強いのは、「負け組」になりたくない、という国内の流れを意識したものだと思います。その是非はともかく、これも県民の「ニーズ」であるにもかかわらず、県教委では、「職業科(総合学科も含むべき)と普通科の均衡」という方針が貫かれています。「職業科」卒業生の多くが、その「専門性」とは無関係な就職をし、さらには「専門学校」に進学する、という流れから言っても、「職業科」の比率の維持は意味がないように思われます。

何故、「普通科」の比率が一定でなければならないのか。むしろ、「職業科」は「職人組合」庇護下のヨーロッパの「職業教育」のように、真の専門職の要請とその就職の安定こそが求められるのですから、少数精鋭と職の安定こそが求められるべきだと思います。

一方、「普通科」でありますが、「ニーズ」の一方は、「勝ち組=東京=都会」志向です。「100倍の所得格差が現実化する社会」では、その「勝ち組」はおよそ100分の1ですから、その意味でいうと、中部地区なら「10数人」の定員でよいことになりますが、それでは、中部の県民の納得は得られないでしょうから、「やさしさとたくましさ」を求めつつ定員を保障しなければならないと思います。

倉吉西高こそ21世紀鳥取県教育ビジョンにふさわしい?

と共に、けっして「負け組」ではないのですが、「勝ち組」に対し「正直者が馬鹿を見る」ことのないよう、真に「やさしさとたくましさ」を「ふるさと」とともに志向する「普通科」も是非とも残していただきたい(なお、「体育学科」は「職業科」のひとつと考えられます)。「年収300万円時代」を生きていく「やさしさとたくましさを併せ持つ子どもたち」こそ、望まれる明日の鳥取県民ではないでしょうか。

そして、その「やさしさとたくましさ」、「ふるさと」を育む「温床」が倉吉西高にこそあると考えます。是非とも「やさしさとたくましさを併せ持つ子どもたち」を育てるモデル高校として、倉吉西高をいつまでも存続させて欲しいと思う次第です。

地域色を残すには「中学区制」で

なお、「通学区域の在り方」について、「普通科」は従来通り「中学区制」がよろしいかと思います。「中学区制」ならば地域色が残り、学科は「普通科」と一般的でありながら、画一性から逃れることができると思いますので……。「職業科」は学科が種々ですので、体育学科を含めて、学科ごとに特色が出せますので、「大学区制」でいいと思います。

以上、あちこち飛びながら述べてまいりましたが、理屈抜きに言えば

 「倉吉西高はええ学校だけ、廃校なんかせんで〜よ!」

であります。ちなみに私自身は倉吉西高の卒業生ではありませんが、やはり、倉吉西高は存続に値する高校だと思います。

以上勝手ながら意見を述べさせていただきました。(2005.06.01メイルで送信)

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    「倉吉西高通信」05年7月19日号から 

    PTAは高校のサポーター

義務教育では、わが子の応援とその学校への応援とが一緒で、親と教師が子どものために、協同してその健全育成を目指してこられたと思います。高校の場合はその主旨は同じであるにしても、入試を通して「倉吉西高」を「選択」されたわけです、思いはいろいろあるにしても……。この「選択」ということがあるために、高校のPTAは、わが子を直接応援すること以上に、わが子が「選択」した高校を応援することが大切になります。

わが子の「選択」した高校は、どの高校であれ、義務教育のときよりは広い地域で、固有の存在意義があります。それぞれの子どもがその高校での豊かな高校生活を送っていくためには、親はその高校の「価値」を認め、それを高めていかねばなりません。

そのためには、わが子の通う高校を知っていただかなければなりません。倉吉西高のばあい「生徒憲章」と「単位制」でしょうか。その上で未来の社会の「選手」としてのわが子を、自信をもって「倉吉西高」チームに送り出していただきたいと思います。……サポーターとして。そして、僭越ながらそのサポーターたちのリーダーとして一年間つとめさせていただきたいと思いますので、ご協力方お願いします。

  「日本海新聞」05年7月18日付け<高校野球特集> 

    応援メッセージ

 倉吉西高の生徒・選手はなべて優しい、と言われています。とは言え、「試合」ではそうはいきません。校則のない西高の「生徒憲章」をバネに、「やさしさ」を「たくましさ」に変えて競技してください。試合を終えたときに充足感のある試合を期待しています。 倉吉西高PTA会長 押本昌幸 

    「倉吉西高通信」04年7月12日号から

             やっぱり、狭い、古い、西高体育館

 文武両道の部活動に一生懸命な子どもたち。彼らの試合を追っかけ、会場になる各学校の体育館を嫌でも見て回わることになります。そこで感じるのは、そうでなくとも出身中学校の体育館に比べても、西高体育館の狭さ、古さ、暗さ、貧弱さなのです。

 そこで、西高体育館の実際はどうなのか、県内各校の様子を県教育委員会事務局教育環境課に尋ね、調べてもらいました。

 調査は「建築年度」「第2体育館の有無」「面積(総面積、アリーナ、ステージの面積、ほかギャラリーなど部活動可能な場所の面積」「構造」などで、柔剣道場を除く、ということ。そして、体育館の整備基準。練習会場確保のための保護者負担金の実態とその是非でした。

 その結果を次の項目でランク付けしてみました。また、調査対象校は26校でしたが、統廃合予定校と定時、通信制のみの緑風高は除外して残り22校で比べてみました。

 はじめに、整備基準(要旨)ですが、

    ・学校全体でバスケットコート2面(最低624u、標準840u以上)を確保できる

    ・老朽度や活用状況等の実態

    ・使えるものは修繕して使う

 あとは県の財政状況などを考えて整備する、ということだそうです。

 もう一つ、部活動後援会が近隣の体育館の賃料を負担しているという実態については、各学校とも似た状況のようで、(県の)できる範囲で各学校間で公平性が保たれるよう検討する、というものでした。

 さて、ランク付けの項目ですが一つは「建築年数」ただし複数あるところはメインと思われる方。

 次に「メインアリーナの床面積

 さらに、学級数も4から8クラスまでありますから(高校改革終了の平成17年度の定員を基準にする) アリーナの総面積、つまり、第2体育館があればその面積も含めてを学級数で割った「1クラスあたり の面積

 そして、その3項目の合計としての「総合」としてみました。

 まず、建築年数では、倉吉西高は昭和49年度で22校中16番目に古い。最も古いのは米子東高の第1体育館で、昭和36年度。第2体育館も昭和41年度でともに40年以上経過しています(ただし、第1は平成5年度に大規模改修を実施)。

 次にメインアリーナの床面積ですが、これは2つあれば広いほうで比べました。倉吉西高は957uで同じく16番目。一番広いのは米子西高で1426u(昭和62年度・第2・学年8クラス)。一番狭いのは岩美高で604u(昭和43年度・第1・学年4クラス)ただし第2体育館あり。

 次に1クラス(普通校40人、実業校38人)あたりのアリーナ総床面積。倉吉西高は63uで21番目。一番狭いのは鳥取湖陵高(学年6クラス)で38u。一番広いのは倉吉農高(学年4クラス)で98 u。湖陵高のおよそ2・5倍。

 さて、総合ポイントでは倉吉西高は建築年数16位、メインアリーナ面積では16位、クラスあたりアリーナ面積では21位。合計53ポイントで19位。合計ポイントの最も多いのは鳥取湖陵高、岩美高、米子南高の54ポイント。最も少ないのは境総合技術高で6ポイント。これらのうち、米子南高は今年7月末に新体育館竣工で最下位脱出。また、岩美高の第2体育館は平成元年度建築で、第1より広く、こちらをカウントすれば47ポイントになります。

 したがって、総合的に見て、倉吉西高はほぼ県下最低の体育館ということになります。さらにつけ加えるならば、倉吉西高体育館のステージの面積48uは県下最低であります。

 子どもたちの文武両道でがんばっている部活動の「追っかけ」で感じていた西高の体育館の古さ、狭さ、貧弱さは必ずしも保護者のひがみ眼ではないことがはっきりしました。

 現在、倉吉西高の体育館の整備計画が県にあるようには聞いておりません。しかし、以上のような道理から、早期の改築もしくは大改修が望まれるということにはならないでしょうか。

 今年、創立90周年。朗報を期待したいものです。                 (文責・押本)

2005.12.31追記:体育館新築に関する平成18年度鳥取県当初予算要求概要が明らかになりました…

こちらで…「検索に「倉吉西高」と入れてください (2つあります)

2006.01.18追記:18年度の県財政課の査定ではゼロでした。残念!!

県教委の体育館現況調査一覧はこちら (エクセル)

(鳥取県教育委員会事務局教育環境課高等学校整備担当K氏から提供されたものです)

……県教育委員会事務局教育環境課高等学校整備担当K氏には大変お世話になりました。ありがとうございました。また、倉吉西高出身の県会議員がいないことから、「政治力」がないけど云々、に対しては、「県の施設整備が政治力の有無に左右されることはありません」(…と力強く感じました)とはっきり表明していただきました。

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今までにやったと思うこと

八橋(やばせ)幼稚園

幼稚園制度の意義の再発見。

町立幼稚園(1年制3園)は保育園の年長組が独立したもの。町費の無駄保護者の負担増ではないかと思って、WHY?と調べた。当初は確かに補助金が出るからと設立した節があった。町立を1園のみの予定であった。

が、町民の就園の機会均等ということで最終的に3園となった。また、幼稚園の授業時間は午前中のものであるが、それだと保護者の間で園児を迎えに来られない者が多数発生するし、全員の就園も不可能になる。

そこで、午前は授業、午後は保育という独自のシステムが考えられたらしい。そして、5才児という一番心身ともに成長の著しい時期に保育園、小学校からも独立して充分な就学前教育が行えるようになったというものでした(幼稚園での就学前教育の有無については、小学校校長いわく、有れば1年生の初日から授業が可能だが、無い場合は1学期間まともな授業につけないこともある)。

……皆、納得しました。それまでは充分な説明もなされず、また、幼稚園教育の重要性も認識せず、「何故こんな無駄な厄介な制度を…」と思っていたのです。

町立保育園と幼稚園の併存について

その後(平成12…2000年度から)、変になってきたのです。

幼稚園と保育園との「選択性」の導入です。つまり、保護者の希望によって、子どもを幼稚園にいれても保育園に入れてもよいのだそうです。すると、隣同士でありながら一人は幼稚園片方は保育園となるのです。

なんで?現在は部外者なのでほんとうのところはわからないが、一部の保護者から5時までしか見てもらえない幼稚園と、延長保育も可能な保育園と、親の都合で選択できるようにとの要望があり、それではと、町側がしたらしい。ところが今度は隣同士保育園、幼稚園と別れることから選択性は変だ、また、財政面から幼稚園保育園の統合案も浮上し、話が混乱し始めた。

保護者会がしっかりしてないのか。もし、幼稚園保育園の実質的な区別がないのなら、統合すべきだし、区別があるのならたとえ財政が苦しくても保・幼別が必要だろうし、だとすれば、幼稚園での延長保育を保護者会として要求すべきでしょう。あるいは、まだ町内には学童保育所がないので、幼稚園児をも含んだ学童保育所の設置を要求すべきでしょう。

しかし、そういう論議は聞こえてきません。ただ、混乱は議論もなく収拾されるでしょう。保・幼統合で年長組が幼稚園扱いのような「幼児園」として……。

「町保連」資料から…このHPを見たご覧になった保護者から「資料」をいただきましたので…(この項2003.12.5加筆)

まず、「資料」のタイトルは…

    ・「町保連協議資料」

       1.保・幼一元化の経過 2.幼児園(案)に対し町保連役員会開催(問題点について) 3.町長の誤解・理解不足 

    ・「住民(保護者)のニーズについて」

       1.経過 2.保護者はどんな制度を求めているのか 3.児童の成長にとって必要なもの

    ・「経費について」

       1.幼稚園の「予算」措置について 2.保育経費の軽減措置に影響し、町や保護者の負担増 3.児童福祉法に基づく保育の設置 

    ・「その他」

    です。以上から「町保連」の基本的な要求は「0歳から5歳までの一貫した保育体制」への(保育園と幼稚園との)一本化と読むことが出来ます。

     「協議資料」の「1.保・幼の一元化の経過」…「保・幼一元化に対する保護者や保育現場の要求が出されても、町行政が積極的に係わることはなかった」とされていますが、私の代では上に記したように幼稚園で納得していたし、「町保連」から意見を求められたことは一度もありませんでした。

     これは、「町保連」が意見を求めなかったのが悪いのではなく、必ずしも、「町保連」が少なくとも歴代の幼稚園保護者の意見を広く求めてはいない可能性がある、ということです。さらに、「協議資料」のどこを見ても現役の幼稚園保護者の意見が記されていないということです。

     その上で、町は平成11年に突然に(保・幼)の「選択性」を導入。また、平成15年に突然「幼児園」の導入を議会で発表したということです。

     「2.(問題点について)」「3.町長の誤解・理解不足」…ここには主に、保育園の良さが述べられています。また、保護者一般には幼稚園と保育園の違いがわからない、とも述べられています。

     ここで保育園の良さを述べるあまり「一部幼稚園が少人数のため、税金の無駄づかい」ということと「幼稚園授業料が安すぎる」と述べられています。

     「幼稚園」であろうが「保育園」であろうが「幼児園」であろうが、住民にとって必要なものは「経済効果」からのみで「無駄」とされたら、福祉、教育のサーヴィスと権利は年々衰退していくでしょう。

     それと、理由はともかく、不正なものでなければ「授業料は安い」方がいいにきまっているではありませんか?

    大雑把ではありますが、いただいた「資料」の感想です。その「資料」の論調から、行政と「町保連」との経緯にはかなり感情的な行き違いもあるようにも思われます。

    ま、説明なしの突然の方針転換は、その手法に問題ありとしましょう。

    次に、「幼稚園」と「保育園」との本質的な「違い」をめぐるなかで、焦点となるのは「就学前教育」の必要性の如何だろうと思います。

    これについて、私としては、幼稚園での「幼稚園とは」の経験と、保育園だけから上がってくる他の町を経験した小学校教諭たちからの話として「就学前教育」の必要性を認めたいと思います。さらに先進国であるデンマークで、「就学前教育」の必要性(日野市の社会教育センターのHPからです)が認められ「幼稚園」のようなものができていることを考えると、やはり「就学前教育」は必要だと思います。

    そして、「町保連」でもこの「就学前教育」の必要性を認めるとすれば、これをいつ、どこで実施するのかを検討すべきだと思います。…幼稚園保護者とも連携して…。

    現在、「特区」制度もありますが、限られた「保育所」「幼稚園」制度のなかで両制度の「いいとこどり」をした「就学前教育施設」をつくればいいのではないかと思います(なおここでいう「幼稚園」とは、東伯町方式の幼稚園の意味です)。(ここまで2003.12.5)

   参考までに…「保・幼一元化の問題をどう考える?」(「しんぶん赤旗」2000.12.20)

 「幼保一元化」問題(「しんぶん赤旗」2003.7.20) 

この二つの参考意見をもとに保護者会が議論すれば、問題点が整理されると思うのですが……。ただし、東伯町での「一元化」は、政府の言っているそれではありません。

   はじめに戻る 東伯中学校で 参考リンクへ 付録(部活) なぜ西高なのか

琴浦(旧東伯)町立八橋(やばせ)小学校秋田市立八橋小学校とは違います)

小学校の制服の問題について。

私が小学生の頃は、私服、自由服でした。それによって昔、私は赤い服を着せられていじめられたこともありました。ところがいつのまにか、制服代わりに体操服の上下が標準服となっていました。

毎日着ていて不衛生ということ、時期によっては暑く、寒い。儀式の時も同じ服装で不適切である、もともとこの小学校は私服である、制服はなじまない、などなどから、幼稚園を卒園するとき、入学式の時、入学後のPTA総会の時を通して訴え、クラスPTAなどで話をし、全校の確認事項として了解を得ました。

それでも、1年生だけが私服であって、上級生からいじめられました。そして、当時の教頭から児童全体にも、「体操服」は制服じゃないよ、私服であたりまえだよ、ということを説明があり、ようやく落ち着きました。

小学校の乾布摩擦について。

この小学校では、戦前の食糧事情の悪かった頃、肺炎が多くその対策として、乾布摩擦が取り入れられて、爾来50年以上にもわたり続けられてきました。その間、その乾布摩擦の実施により健康優良校として幾度か全国表彰も受けていました。

しかし近年、子どもの体躯の成長、健康状況の変化、社会情勢の変化などにより、乾布摩擦の効果より弊害の方が目立つようになりました。上半身裸で乾布摩擦をするのは特に高学年の女子児童には不適切でありました。

歴代のPTA会長は自分の代に伝統的で有名な事項を廃止するのは嫌がるものです。また、保体主事の教員も子どもに対するアンケートを実施し子どもの多くが不快を感じていないなど、廃止を拒みました。

当時、私は広報委員長でしたが、乾布摩擦の企画を考えていると言ったところ、教頭・教務主任から「慎重に…」とご忠告をいただきました(以前に、クラスだよりで「乾布摩擦」を批判していた)。

がしかし、女子児童を強制的に上半身裸にするのは野蛮ということから、結果的には廃止になりました。廃止派は必ずしも多数派ではありせんでしたが、良識が「どちらでもよい派」を制したと思われます。

なお、広報紙には「乾布摩擦廃止」の経過を載せました(決断は校長でした。……ついでにこの校長については、ある教員が、家庭で嫌なことがあっても学校にくれば気が晴れるんですよ、と言ってました)。

運動会のときのテント設営について。

この小学校では、今から20年くらい前から運動会になると何故か雨が降り、観客の自衛手段として公民館などのテントを観客席に設置するようになりました。見てみると大きな部落、裕福な部落のみがテントを張っているではありませんか。

そこで、PTAの役員会で、テントの設営を全く禁止にするか、全部の部落がテントを張るようにするか提案し、全部の部落がテントを張るようにしました。そして、新しい集落などでテントが調達できないところは役員会で調達するようにしました。運動会の当日の朝、保護者の仕事は、協同でのテント張りから始まるようになりました。なお、皮肉にもそれ以後の運動会では雨は降らなくなりました。

参観日などの駐車の整理について。

かつて、参観日、運動会、音楽会など学校行事のときの駐車はてんででたらめでした。遅くきた人に限って他人の車の前にデンと駐車してありました。情けない、子は親を見て育つ、というのではありませんが、いずれにしてもお互いに迷惑な話。

役員会で、臨時の駐車場のライン引き、車の誘導を年度当初にすることにしました。今では、音楽会の最中にクルマの呼び出しのプラカードを出すこともなくなりました。

追伸。音楽会、運動会は共に音楽の、体育の「参観日」と考えています。したがって、特に、運動会などでは、飲酒・指定場所以外での喫煙は禁止です。

体育館の新設にあたって。

数年前、老朽化した体育館を新設する話がありました。

PTAの役員会では、保護者の要望を出し、その要望に沿って建築してもらいたい、ということになりました。

役員は手分けをして最近設置された体育館を視察し、

ステージ上は吹き抜けではなく天井を張ること(音楽会用)、照明は交換容易なエレベーター式にすること、内部の側壁は吸音板を使用すること、外部利用も考慮し、別出入り口を設けること、採光のよい大きなガラス窓にすること、(児童玄関も改修するので)風除室を設けること、音響は内部の後方にもスピーカーを設置しはね返りをなくすこと(これはPTAで処理)、

などを要望し、ほとんど実現されました(暗幕の設置要望を忘れた!!!)。

これらは、教職員が要望するよりも保護者がした方が、行政に対して効果がありそうです。

人権教育…「地域によって温度差がある」???

鳥取県内は「同和教育」がとても盛んです。町も、村も行政全体が「熱心」に取り組んでいるようです。町職員はこぞって盛んに「研修会」に参加(本人たちの行動を見ると免罪符的にさえ見える)し、保育園の運動会などで順位を無くすなどと言った教条的解釈まで出る始末です。

人権教育は大切です。

八橋小学校区には「部落あるいは地区」がありません。そのために、他の小学校などとの交流会、研修会では、「熱心さが足りない」「学習が足りない」などと批判を受けたりします。だから余計に萎縮してしまって他校との関わりの出て来るPTAの「同和推進委員長」のなり手が少なく、行政関係者や教員の保護者がなったりしています。

障害児学級が3クラスもあるんです(平成14年…2002年度)

けれど、現在(平成14…2002年度)、八橋小学校には障害児学級が3クラスもあるんです。身体・知的・学習障害です。子どもたちはそんな中で毎日生活し、保護者もそれを見守っているわけです。例えば「鼻水をたらして汚い……」から「鼻水出てるよ、はいティッシュ。」へと変わっていくわけです。

障害児等を通した人権学習は必ず、「同和教育」と同じレベルの人権学習へと繋がります。「同和教育」が上位で「障害児等の人権教育」が下位などということは無いはずです(ただし、過去の運動の実績、果たした役割等の差はありますが…)。

八橋小学校のPTAは、「障害児教育」の実践を通して人権学習を推進すればよいと思います。身近な差別問題(哲学用語での「特殊」)から、その学習を高めていって人権問題一般(哲学用語での「一般・普遍

」)に至ればよいのであって、身近な課題を引っさげて他校との「人権教育研修会」に出て交流すればよいと思います。平板な「同和教育」では、あちらもこちらも統一規格品のような教科書的な報告ばかりが出てきます。まるで思想教育でも受けたかのように…です。

八橋小学校は「自由な」校風なのです。 はじめに戻る 八橋小の文頭へ 八橋幼稚園で 参考リンクへ

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東伯(とうはく)中学校

頭髪の丸刈りについて。私が入学するときも丸刈りは嫌でした。保護者自身が嫌な思いを未だに抱いているということから頭髪の自由化を求めていくつもりだったが、時代の流れということで子どもの入学時に自由となってしまいました。

防寒着の改訂(校則)

全国的に校内暴力などで揺れた1983年ころから、東伯中での防寒着は薄手のセラミックコーティング加工のウィンドブレーカーでした。これが、ちっとも温かくない。…にもかかわらず、何年も何度も保護者から要望が出されながら、立ち消えになっていました。1998年、防寒着の改訂に熱心な保護者たちが集まった広報部では、保護者、生徒にアンケートを取り、特集を組みました。

広報紙でキャンペーン

毎年立ち消えになるのは、中学の3年間・学年終了間際の3学期に問題提起されて、翌年度扱いになってしまうというPTAの取上げ方にも問題があった。その意味もあって、広報紙に記録しておくことにした(という大義名分で掲載…1998.3.Vol.88)。

3者協議会

1998.2 生徒・教職員・保護者のそれぞれの代表が集まって、それぞれの立場からウィンドブレーカーについて議論しました。生徒からは、現行の校則の遵守を条件に校則改訂を、教職員からは「校則は時代によって変化するもの。生徒会主導の校則の見直しを行うことが教育的である」こと、保護者からは、育成部(校外生活指導)として健康面からウィンドブレーカーの見直しを求めること、が確認され、次年度もこの3者協議を活かしていくことが確認された。

結果、1998.11. 3者合意を経た職員会で承認され、ようやく、「普通」の防寒着の着用が認められた、と生徒総会で報告があった。 

クラスPTAの重要性

現在(平成10…1998年度時)子どものクラスに3,4人の不登校児がいます。未だ解決していません。ただ、その一人の母親にクラスPTAの懇談会に出席してもらって不登校の問題を保護者同士共有できたかなと思っているところ。小学校に比べ中学校は先生と保護者とのコミュニケーションが取りにくい。いっそうのクラスPTAの重要性があります。

また、「学校」は問題を隠蔽する傾向があります。「教員間での共通理解がなされていないので、この問題に触れることはできません。」という教員が多い。そして、問題が納まってから、事後通知があるだけです。これでは、PTAの子どもの健全育成を保護者と教員があい手を携えてはかっていく、という趣旨に反します。もちろん、保護者だけで問題の解決ができるとは言ませんが、教員だけではできない解決法もあるかもしれません。問題の興味本位の波及は避けねばなりませんが、クラスPTAを中心とした理解はなされるべきでしょう。

良いことも悪いことも公開して

実は今年度から(1998)、ようすがかわりました。ひとつは、学校での出来事は「悪いこと」でも公開していくこと。それを保護者と共に解決していくこと。また、クラス懇談会を最低でも年1回開催すること、同じく学年懇談会も最低1回は開くこと、地域ごとの懇談会にも学校での出来事を公開し、保護者に知ってもらうこと、と同時に保護者の要望もそのときに聞くこと、などの取組みがはじまりました。

また、竹田校長は毎月、B5版の用紙にびっしりと(改行も少なく読み辛くはあった)「校長だより」として、全校に己の方針を提示されました。これは、保護者には評判が良かった。

当初は、いまどきの中学生はなんて悪い子達が多いんだろう、というもっぱらの噂が町民の間に広がりました。ほんとうは、今までと変わりないのですが、学校で隠蔽することを止めたせいでそう思われたのです。

広報も大切です

広報紙を、教育委員会を通じてより広範囲に配布しました。レベルアップももちろんです。とにかく、地域での懇談会を大切にし、なるべく多くの会にPTAの役員が出張し説明しました。クラス懇談会、学年懇談会も多く開かれ、問題の発生したときには必要に応じて、クラス、学年の懇談会を開きました。

それでも問題児は発生します。なにせ小学校のときからの評判の子たちでしたから。この子たちの在学中は予想どおり、問題発生件数は増え、不登校も増えました。

「親と教師が子のために」…PTAの基本

しかし、警察的な管理的な対応はしませんでした。ただ、だからといって彼らが更正したわけではありません。親と教師の協同体制は崩れなかったと思います。

彼らが卒業した翌年には不登校生は一桁に減りました。小学校には一度も出席しなかった生徒が学園祭の演劇に出ていたのにはびっくりしました。なんらかのかたちでほとんど進学できたようですが、どうしようもなく行き場のない子もいます。

ほとんどその子の親の生活がデタラメです。夜遊び外泊していたある男子生徒は、父親はトラックの運転手で帰宅せず、母親は夜の仕事で朝帰り、高校生の姉は両親と喧嘩して離れた親戚から通学で帰宅せず、要は彼が家に帰っても誰もいない。でも彼も何とか卒業進学しました。

「どうしようもない」というしかない先生をどうする?           

先生への好き嫌いはあるにしても、誰がどう考えても「変」という先生も残念ながらいらっしゃいます。

・運動会で、クラスで決めていた約束事を反古にして、開き直る先生。しかも、授業も解らないないものはその生徒が悪い、という態度で傲慢な授業を続ける先生。

  学年PTAが動く

…その話題がポツポツあちこちのクラスから出始め、学年部会(各クラスの世話係の役員の学年ごとの会)で話し合いをもったら、どうも生徒だけでなく保護者の眼から見ても様子がおかしいことがわかる。

そこで、学年部会の担当教諭にも伝え、職員、学年職員団、から事情を聞き、管理職にも調査してもらい、結果、管理職からその先生に指導してもらった。生徒とのわだかまりはついに解けなかったが、持ち上がりの翌年、担任からは外された。授業方法については、本人から生徒へ反省がなされた。

・異動新任の先生。親も子も一所懸命の部活動なのに週に1度出てくればいいほう。おまけに校外の練習場所のときに、遅刻、すっぽかし。授業も、一人で勝手にやっている風。

試験の範囲はいつもでたらめ。学期末の成績資料が懇談日に間に合わない。しかも、いつも。部活動ではいよいよ親が抗議集会を持つところまで。だが、延期してもらい、校長への陳情に。

残念ながらこの学年のPTAは動かなかった。結局、度重なる管理職の指導にもかかわらず、一向に本人は改善できなかった。…その部は、他の手段を講じてなんとか全中の中国大会まではいきました。

この件に関してはPTA執行部が直接管理職へ訴えた。ただし、事実の確認と、その広がりの確認後に、である。残念ながら、この学年部役員はあまり他の保護者から信頼されていなかった。

翌春、この先生は在任1年であったが転任となった

こんなところが、うちの中学の今(平成14…2003年度)のようすです。

広報紙は平成9…1997年度分が県PTA広報紙コンクールで「県教育長賞(最高位)」、同10…1998年度分が「特別賞(同)」を受賞しています(不登校生徒の保護者が計2人、広報部員で積極的に活躍してもらいました)。

今年の全中出場は卓球男子団体です。

なぜ西高なのか… (他のペイジへ)……独断と偏見を交えて

 

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参考リンク

「東伯中の不登校解決」の新聞特集記事1(大阪読売新聞)は掲載が終りました(2002.12)

東伯中の不登校解決」の新聞特集記事2(鳥取・新日本海新聞)はこちら 

「東伯中の不登校解決」の新聞特集記事3(読売新聞全国版)…「シリーズ きょういく」(2003.1.6)

(社)日本PTA全国協議会はこちら第51回日本PTA協議会研究大会鳥取県大会

「不登校新聞」

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ご意見等はこちら…stfri13@apionet.or.jp →13のあとに「b」を付けてください 

5・7・5・7・7じゃあない短歌も見てください!!                 

  付 録……うちの子どもたちの部活動

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞元・倉吉西高野球部(マネージャー)∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

2003春季鳥取県高校野球・組合せ・結果  各チーム紹介(日本海新聞から)

7/19〜27 第85回全国高校野球選手権鳥取大会・組合せ・結果県営布勢野球場ほか)

チーム紹介(『日本海新聞』特集から)

速報は「高校野球マイナー情報局」

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞倉吉西高弓道部 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

    *(↑他のペイジに新設しました2003/6/3)*

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞倉吉西高男子バスケットボール部 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

*(↑他のペイジへ2003/2/7)*

 

∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞東伯中女子ソフトボール部 ∞∞∞∞∞∞∞∞

*(他のペイジへ2003/7/14)

8/31(日)鳥取県合唱コンクール米子市文化ホール(金賞は中国大会へ)

中学校部門

金賞:三朝(県教育長賞・米子市長賞)・東山・久米・中央 銀賞:後藤ヶ丘・倉吉西 銅賞:東伯・北溟

高校部門

金賞:米子東(県教育長賞)・鳥取西・米子南 銀賞:日野

大学部門・B

金賞:鳥取大学混声合唱団フィルコール(日本合唱連盟理事長賞

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なぜ西高なのか  全国の西高