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    最終更新日2012/05/18

 電気屋さん(押本電波有限会社)

          * 消費者向けではありません *

    • 地域電気店の経営、在り方のためです

         父、幸保が1958年3月に創業
         系列は東芝よりスタート、三菱、三洋、ソニー、NECと変遷。63年法人化、同時にメーカーの指導に乗り市部へ出店。結果的に失敗。76年商工会の指導の下に協同組合を設立し、ショッピングセンターを開設。84年には行き詰まり、農協にショッピングセンターの経営を譲渡。
          国道沿いに出店 
        家電のみの経営に戻り、代表者を長男の昌幸に交替。87年末に国道9号線沿いのテナントビルの1階に入居。DPEのミニラボも始める(未経験。写真の趣味なし)。なお、本人は電気技術なし、専攻は社会学。
          SONYの保証金を解約
        系列店がよいのか悪いのか。ソニーの系列のとき、当初は、保証金も何も無く、しかも手形決済であったりもした。しかし、手形決済はなくなり、月末締めの翌月10日振込みになった。
        零細の電気店の場合は、その多くが自前の売掛金を持っていた。理屈ではクレジットがあるからというが、量販店がクレジットでも攻勢をかけて来た(取引に関しては、昔の三菱のときは取引限度額を設けて担保設定までしてあった)。
        ソニーはやがて保証金を積立てるよう要求してきた。はじめは、無担保(無保証ではない、取引約定で連帯保証人を取っていた)なのだから止むを得ないと思っていた。しかし、保証金が取引月額の3倍にもなっても積立は要求された。
        手形決済ならともかく、月末締め翌月10日振込みでありながら、保証金の根拠が無いのにである。おまけに約定で連帯保証人まで取っているのにだ。
        営業所長には、解約して取引を止めればジリ貧で商売を止めざるを得なくなるよ、と脅されたりもした。零細家電店はブランドの力を信じている、自分を信じないで…。
        確かに現在不況下もあってジリ貧状態に近くはあるが、気分的に楽になっている。町内での「自分ブランド」はむしろ上がっていると思う…ただし、量販指向のひとには無縁だ。が、住人がニーズを感じたときに思い浮かべてもらえる「店」にはそれなりになったと思う。(このソニーの項、2003.1.23挿入)
          量販店のまねごとを止める 
        当初は、量販店のまねごとをする。即ち、系列のソニーをメインに各社の品揃え、特売品の設定、近隣の町までのチラシ攻勢など。やがて、量販店の出店に伴い売上が激減する。現在は減量経営に努める。電器のコンビニ、消費者に満足してもらえることに努めている。衰退していった時計屋さん、自転車屋さんが修理だけの「店」に陥ってしまったが、「小売りを通してのサービス業」に成るべく、努力しています。知恵の交換を!
         現在(1998年)、大型店の攻勢は、現在この人口1万3千人の東伯町に、マツヤ電器、ベスト電器、ダイイチ電器と3店舗も出店し、大変。生き残り策は、いかにサービス業的な小売業になるかだと思う。
          減量経営
        当初は従業員も5人。現在は私の他に常勤のパート2名、夕方から高校生のバイト1名。ほぼ年中無休。平日は朝9時から夜10時まで、土(隔週)日、祭日は10時から9時まで。家電の他にDPEの自家ラボ(FUJI)、中小のPAレンタルサービス。たまにAVの特機も手がける。カラーコピーサービス、ダビングサービス。水道工事はやめました。お年寄り向けに演歌のミュージックソフト、レーザーソフト、限られた方にクラシックのCDを販売。
        左は東伯町農協の運営するカウベルホール(466席)
        室内楽では評判のよいホールです。
        1985年オープン。弊社は466席分のアナライザー・システム(SONY)ほか映像関連設備を納入しました。…そんなこともありました。
        ほかにも、東伯町役場議場マイクシステム。東伯町農協食肉加工センター内ビデオカメラ監視システム・東伯町農協結婚式場音響システム・鳥取国体相撲競技会場音響照明映像システムetc.もやりました。…嘘みたいでしょ。
          量販店の進出はマイナスばかりではない
        これは、ある意味ではあたり前のことではですが、量販店が進出することによって、あたり前の家電品は安ければいい。各社の多品種が展示されている量販店のほうがいいに決まっています。
        だから、逆に零細店はそういった品揃えをする必要はなくなる、と言って量販店のコバンザメ商法を実践する人もある。それはそれでいい。けれど、零細店は量販店の出店によって、家電なら家電の中の専門店化することが出来るようになる。極端に言えば、電池の専門店とか電球の専門店とか、です。
        問題は、専門店に移行するまでに自店の経営体力が持つかどうかです。はっきり言ってうちも、今は体力がありません。大体、零細の家電店というのは、経営感覚がありません。食ってけりゃあいい式で、趣味・好みで始めている例が多いです。やっぱり、赤字では駄目だ、と思います。だから、うちの目指すのは、とりあえず零に戻ることです。見栄も外聞も無い、とにかく、身軽にしていくことです。もう零細の家電店はメイカーの尖兵ではないのですし、今や、メイカーも廃兵としか見ていません。
        専門店化、あるいは商組のいう「ソフト業務」。まともな消費者は、まともな品が、まともなソフトを伴って販売されることを求めているはずです。「まともな消費者」って大事ですよ。やくざな商売にはやくざな消費者しかつかないんですから。がんばろっ!(この項、2003.1.25挿入)
           専門化・ニッチ(すき間)化のチャンス
        専門化は上に述べた理由からです。ニッチ化は、いわば隙間商売ですから、他人と同じことをやっていては駄目です。逆に他人のやらないことでなければなりません。
        例えば、うちで言えば、レコードソフトの場合、書店などでは、卸のいうままに、「売れ筋」であるJ-POPなど、TVではやっている若者向け商品を揃えます。ところが若い消費者は、どこでもよい、目的の商品があるところならばどこでもよいわけです。そうすると、小さな店舗にはそんな人気商品を大量には卸してくれませんから、消費者は逃げてしまいます。また、万引きの対象にもなります。
        そこで、うちの場合は、時代遅れのメディアではあるが、演歌のカセットテープと4曲入りレーザーカラオケを集めるわけです。消費者は、年配の人になってきます。万引きの心配はなく、回転はとろいが、売れる期間が長いのです。おまけに、そんな時代遅れの品揃えをするところはあまりありません。
        いつまでもこのままで大丈夫とはいえませんが、しばらくは大丈夫です。例えばですが、そういう商品・サーヴィスを見つけるのもよいのではありませんか?(この項、2003.1.27挿入)
          2002年1月末、移転しました。
        同じ地内ですが、「国道」から「県道」沿いに変わりました。店舗面積も30坪から半分の15坪。家賃は3分の1。家電などの大きな商品の展示はほとんどありません。
        家電も消耗品がほとんど。あとは、演歌のシングルカセットテープと演歌のレーザーカラオケ(4曲入)。DVDは注文品のみ、ですがマニアがいます。そして、DPE。「アラジン」という店頭でのデジタルカメラのプリントを始めました。
        演歌の曲探しはインターネットです。ミニラボも一店撤退しましたが、他に3店ありますが、なぜかデジカメ・プリントはやっていません。
        そして、地元CATV局のケーブル接続工事、インターネット接続工事および各調整。
        家電については、もっぱら学校など教育委員会関係役場関係の事業所と特定顧客に販売します。……これらは信用と幅広い(設備備品に対する)情報提供能力・雑学の教養が必要です。
        ほかに、家電の在庫はごくわずかですが、店頭に出てないものでP.A.(PublicAudience)のレンタルがあります。これは、鳥取国体(1985)当時提供した、音響機器を基に少しずつ買い増しして揃えたものです。大きなイベントは無理ですが、町内外の演芸大会などは間に合うのです。
        なんと、場所はかつてのショッピングセンターの一角なのです。S.C.はとっくに閉店しています。その県道(正式には町道)沿いの入り口付近を借りたのです。車の通りは激減ですが、S.C.の跡なので、車の出入りが楽。自転車の人も楽。ディーゼルの排ガスもなくて、扉も開け放てます。
        時々、張り紙をして銀行、郵便局、近回りの配達などします。張り紙には、店の電話番号があり、かければ携帯電話に転送されます。そして、だいたい午後2時から4時の間に遠くの配達や、工事、修理など「往診」に出ます。そうそう、従業員はゼロです。マイナス面もありますが、情報提供量の多さなどのプラス面もあります。
        地元の農水省系のCATV局がインターネットを始めたので地元の電気店もその工事店になっています。もっとも、パソコンとの接続についてはその多くが苦手のようですがね。
        営業時間は朝8時30分(近頃は9時ちかいが)から8時まで。ただし、PТAなどの会のある日は7時くらいまで。もっともこの県道に移ってからはほぼ7時までが人の動く時間帯のようです。土曜は10時オープン。日曜は昼1時オープン。休みは不定期。
        なお、2002年秋現在、量販店は、マツヤデンキが100万ボルトとして残り、ダイイチは撤退。ベストは農協の中に縮小して移転。
           電気商組を脱会
        2002年末で、電気商組を退会しました。なぜなら、もう、家電の小売商業者とは言えないからですし、他の組合員と考え方が違いすぎる。ただし、地元CATV局の工事組合員およびPC接続業者にはなっています。
        こんな状況で、しばらく様子をみます。

        休業しました。2006年8月15日

           

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