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最終更新日2012/05/18

水 曜 サ ロ ン(財団法人とっとり製作総合研究センター 地域文化研究室 主催)

2007.9.12 13:30〜15:00 琴浦町八橋 旧中井旅

ケルトと出雲をつなぐ小泉八雲(1850-1904)と灯

漁り火〜盆灯籠〜月かげの盆踊り〜  押本昌幸

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                                                ↑(http://inoues.net/mystery/izumo_nazo.html

古代出雲王国       

 田中文也『さまよえる邪馬台国』(1998)

   巨大な出雲大社殿・荒神谷遺跡・大山(ランドマーク)・自然条件・朝鮮族・製鉄技術・古事記(712)・日本書紀(720)の8割は出雲神話

 山口和利『古代伯耆研究による邪馬台国解謎』(1985)

   全国の古神社のうち8割がスサノオ(出雲)系2割が高天原(九州)系。地名・出雲神話・朝鮮族・海流地形・天神族(渡来蒙古族) 

 松本侑子の「敗れし者たちへの挽歌……ケルト族と出雲族へ」<『座礁』所載>(2002)

    紀元前ヨーロッパの先住民族であったケルト族 ローマ帝国以前文字なし…ケルト音楽をCDで確認(他にエンヤ、U2など)

    考古学の進展により、ヨーロッパ文明の基礎はケルト…霊的で豊かな精神性

    記紀の8割を占める出雲神話、従前はフィクション扱い

    出土品=荒神谷遺跡(銅剣358本)加茂岩倉遺跡(銅鐸39個)出雲大社殿の巨大柱(高さ48m)

    古代における敗北、さらに千数百年を越える歳月、地中に眠り続け真価を知られなかった古の出土品、そして近年、一躍脚光をあびて歴 

    史の表舞台に躍り出たいきさつを思うとケルト族と出雲族には通じ合う奇縁を覚える⇒小泉八雲の想い

http://www010.upp.so-net.ne.jp/zasyou/MY_KERUTOZOKU.HTM

八雲「日本海に沿うて」(『日本瞥見記』第21章)

 「浜村の晩に見た夢…出雲の女とケルトの子守唄」(第12節)

どこだか分からない。ことによると、お寺の本堂みたいな所かもしれない。とにかく、白ばくれた敷石の敷いてある、だだっ広いところで、そこに鈍い薄日がどんよりとさしている。わたくしのすぐ前に、若いのか年とっているのかよく分からないが、女がひとり、大きな薄黒い台座の下に座っている。台座の上に何がのっているのか、わたくしには、その女の顔しか見えないのだから、上のほうはよく分からない。ふとわたくしは、その女に見覚えがあるような気がした。そうだ、出雲の女だ。と思っていると、その女が巫女に見えてきた。女の唇が動いている。が、目はつぶったままだ。わたくしは女から目を離すことができないでいた。 

そのうちに、女が何か歌いだした。遠い世から惻々と聞こえてくるような声である。歌は何だか嫋々としたもの悲しい歌だ。それを聞いているうちに、わたくしはケルトの子守歌の記憶がぼんやり浮かんできた。女は歌いながら、片方の手でしきりと長い黒髪を解いている。その解いた黒髪が、しまいに石の上にバサリと落ちて、クルクルととぐろを巻いた。見ると、いつのまにかその髪が黒い色でなく、青い----あさぎ色になって、波のようにうねりながら青いさざ波を寄せつ返えしつしている。わたくしはハッとなって、ああ、波がどんどん遠くへ行くな、と思ったら、いつのまにか女がそこにいなくなっていた。あとにはただ、音もなく砕け散る長い波頭を鈍く光らせながら、空の果てまで見果てもなくつづく青い大きな海原があるだけだった。

 

民俗学 小泉八雲 「杵築―日本最古の神社」「神々の国の首都」

…伊勢ではなく出雲に注目

c.f.友人のチェンバレンは『古事記』の英訳(1883)で有名

柳田國男と折口信夫と八雲はともに明治の近代化の中で、昔話を採録→民俗学へcf.佐々木徳夫著『ふるさと艶笑譚選集』(2007本の森)

柳田國男よりも折口信夫に似る手法…詩人の感性

ラフカディオ・ハーンの評価…新聞記者ハーンの死体描写

──半焦げの腱によって互いに引き吊られ、半ば溶けた肉によって恐ろしい様で膠状にひきついた、ボロボロに崩れかかった人骨の塊と、沸騰

した脳髄と、石炭と混ざって煮凝になった血。頭蓋骨は砲弾のごとく爆裂し焼却炉の高熱の中で飛び散っていた。その上半分はぶくぶく煮沸する

脳髄の蒸気の圧力でもって吹き飛ばされたかのごとく思われた。後頭部の後半部分と頭頂骨、上下の顎骨、ならびに多少の顔面骨のみが残っ

ていた。頭蓋骨の上部は鉤裂きに引き裂かれ、ある部分は燃えて焦茶色となり、またある部分は黒焦げとなり黒い灰と化していた。脳漿はほとん

どすべて沸騰してなくなってしまったが、触るとまだ温かった。パリパリに焼けた部分に指を突っ込むと、内側はバナナの果実程度の濃度が感じ

られ、その黄色い繊維質は検屍官の両手の中でさながら蛆虫のごとく蠢いているように見えた。両眼は」、真黒に焦げた眼窩の中で、泡を吹いた

カリカリ状のものと化し、鼻骨はどこかへ飛んでしまって、あとにぽっかり恐ろしい穴が開いていた。(ラフカディオ・ハーン 平川祐弘訳「皮革製作

所殺人事件」『ラフカディオ・ハーン著作集』第1巻)

来日の動機 里見繁美「Lafcadio Hearn と Percival Lowell」

ハーンの友人G・M・グールドの言葉として「ハーンが私のところに滞在している間に、彼が偶然手した本(ローエルの『極東の魂』)がもし出版さ

れていなかったなら、私がハーンに日本行きをすすめても、うまくゆかなかったであろう。明らかにローエルの著作は、彼の関心を日本に向ける

のに大きく影響したし、私が彼の日本行きをすすめるのに大きな手助けとなった。」(大塚英志著『偽史としての民俗学』から孫引き)

折口信夫の「盆踊りと祭屋台と」(1915)

 出雲の国神門郡須佐神社では、8月15日に切明の神事という事を行う。其  

 時には長い竿の先に、裂いた竹を放射して、其に御祖師花風の紙花をつけ

 たものを氏子七郷から一つ宛出すそうである。此は岩戸神楽と同様、髯籠 

 だけでは不安心だというので、神をく為に柱を廻って踊って見せるので、諾

 冊二尊の天の御柱を廻られた話も、或は茲に意味があるのであろう。

 盆踊りは、何故音頭取りを中心として、其周囲に大きな輪を描いて廻るので

 あろうという事を考えて来ると、其処に天の御柱廻りの形式の遺存している事を感じる。(琴浦町教育委員会「三本杉の盆踊り」DVDから)

 …盆踊りの音頭取りは、神々のよりましであったものであろう。……盆踊りの輪形に廻るのは、中央に柱のあった事を暗示するのは勿論のであ

 るが、時代によっては、高灯籠なり切子灯籠なりを立てた事もあったらしい。此等の灯籠が我々の軒端に移ったのもその後の事であろう。踊りに 

 ぐ花笠も、依り代の本意を忘れて、…

「日本藝能史六講」(1944)折口によれば、「舞」は「まわる」と同じ旋回運動で、「踊り」は跳躍運動だという。

 …天宇受売命がを突き踏みとどろかして踊ったりしたことは、大地に籠もっている魂を呼び醒ましたということになりますが──そしてそれが当

 然に第一の段階を作ったということになるが──これはまた、悪い魂を抑えつけたことにもなるのです。

 つまり踏みとどろかすことは、悪い魂を踏み抑えつけて再び出て来られないようにする、ということにもなります。

 それでその抑えつける方は何か、というと、これはであります。これは力足を以て、悪いものをば踏み抑えつけるという形をする、同時に、悪い

 霊魂が頭をあげることが出来ないように、地下に踏みつけておく形です。このことは日本人のもっている踊りという芸の中に伝承されています

 が、このおどりという我々の語は、語自身を見ると、何の意味もなかったということが訣ります。

 つまり下から上にぴんぴんと跳び上がることをば、繰り返すような動作のことを言うた語です。…

 この踊りに対して舞いというものがあります。これは古い語で、まいの同義語としてもとおるという動詞があり、名詞としてもとおりがあります。つ 

 まり、めぐる徘徊するということですが、舞うということは、いわゆる旋回運動することです。      

「盆踊りの話」(1927)

 要するに、其は盆釜から生れて来た小町踊りと、七夕と同一の伊勢踊りと、根本の念仏踊りとの三要素があるのだ。

小泉八雲 「盆おどり」(1894年、『日本瞥見記』第6章)…「三本杉の盆踊り」をCDで確認   

 やがて、道は大きな峰の岨道をはなれたと思うと、こんどはたちまち、高く尖った草ぶき屋根だの、青苔のはえた軒などの見えるなかへと下っ

 ていった。広重の古い浮世絵の折り本のなかにある、色刷りの版画にあるような村だ。そういう版画の風景の色あいとまったく同じような色あい

 をした村。――これが伯耆の国、上市の村である。(第4節)

 やがて、本堂の影のなかから、踊り子たちの長い列が、月かげのなかへくりだしてきて、そこへぴたりと止まった。──踊り子は、みな、晴

 れ着を着た若い女か娘で、中で一ばん背の高いのが先に立ち、あとの連中は背の順にそのあとにつづき、列のしんがりは、十か十二ぐらい

 の小さな女の子がつとめている。小鳥のような軽快なその身ぶりは、なんとなく、古代の甕のまわりを取り巻いている人の絵を思わせる。膝の 

 あたりにぴったりまつわりついている日本の着物は、あの妙なぶらしゃらした大きな袖と、着物をきゅっと締めているあの幅の広い、世にも珍し

 い帯とがなければ、おそらく、キリシアかエトルリアの工匠の描いた絵にならって意匠を考えたものと見えるかもしれない。やがて、もういち

 ど太鼓がドンと鳴ると、それを合図に、いよいよ演技がはじまった。これはまた、なんとも、ことばなどではとうてい描写することのできない、

 なにか想像を絶した夢幻的な舞踊──いや、ひとつの驚異であった。 

 まず、同勢がいっせいに右足を一歩前に、草履を地べたから上げな

 いで、そのままするりと出す。…(第5節)

以西踊り(三つ拍子踊り=三本杉の盆踊り)

  折口信夫の説の地を行くような盆踊り…に小泉八雲は感銘を受け

  る           卍妙元寺http://www.its-mo.com)→ 

  旧中山町八雲来町100年記念誌中山町小泉八雲を語る会

『盆踊りゆかりの地中山』(1991)

  「ハーンが泊まった宿」…西山繁雄氏

 八雲の山陰入り(1890.8)ルートの確定…「ユアサキ神社」→岩崎神社(北栄町妻波) 「天狗の面のある神社」→矢送神社(倉吉市関金町山

  口)=犬挟峠→八橋往来(倉吉の出口から八橋) 八雲の下市(上市)での宿泊先の特定→牧野家「くらよし屋」                                            

                     

花見潟墓地「日本海に沿うて」

行くほどもなく、今まで左手に青くうねっていた単調な海と右手に波打っていた青田が、にわかにとぎれたかと思うと、こんどは灰色の墓地が突如として現われてきた。このまた墓地のばか長いこと。四角な石が厖大もなく寄り固まっているそこを通りぬけるのに、われわれの人力車が全速力で駆けて、15分はたっぷりかかったくらいである。墓地が見えてくれば、そろそろ里の近くなってきた証拠だ。ところが、墓地が驚くほど大きかったのに比べて、着いた村というのは、これまた驚くばかり小さな村だった。おそらく、その墓地に住んでいる物言わぬ死者の数は、墓地の持主でもある村の住民を何千倍にした数にも余るものだったろう。長汀幾マイルにおよぶ曲浦にそって、ちらりほらり散在している草ぶきのささやかな部落が、暗い松林を風除けに背負って、そのかげにちぢかむように隠れていた。林立する無数の石塔──過去に対する現世の価値の不吉な証人の群なる、風雪に色寂びたそれらの墓石は、あまりにも長い歳月をそこに過ごしたため、砂丘から吹き付きつける砂にボロボロに欠けてくずれて、碑面の文字などまったく消え失せてしまっている。まるでここの陸地がそもそもここに出来た時から、風吹きすさぶここの浜べに生きてきた人達が、ことごとくそこに埋められている中を通っていくような心持がする。

おりから盂蘭盆のこととて、この墓場にも、新しい石塔の前には、ま新しい白い盆灯籠が下がっている。今夜はきっとこの墓地も、都会の灯のような無数の灯で、いちめんにあかあかと明るくなることだろう。よく見ると、墓の前に灯籠が下がっていない墓も無数にある。何千と言う数の、古い古いそ

 ういう墓は、おそらく家が絶えてしまったか、あるいは子孫がこの土地を去って、家の名さえ今は忘れられてしまった無縁墓なのだ。時すらも今はさだかではないような、──そんな遠い遠い昔の人たち、その霊を呼び返してくれる者も、今はだれひとりとしてない人達、なつかしい村の衆の記憶にすら影のなくなってしまった人達、──かれらの生涯に関する一切のことは、それほど遠い遠い昔に消滅してしまったのだ。(第3節) 

                               

←精霊舟

 (http://www.town.kotoura.tottori.jp/p/sightseeing/shisetsu/syaurabune/)から

 …精霊舟(第6節) cf.岡田茂三郎(赤碕港築港)

中井旅館 押本三男『宿押本家の由来』(1988)

  中井一郎氏経営。昭和7(1932)年4月、押本金蔵氏に経営譲渡、

  同三男氏昭和60(1985)年7月廃業。

 八雲の水泳。(『ラフカディオ・ハーン著作集・第14巻1891.10.3付け』)

 漁り火「日本海に沿うて」(木の根神社…第7節)の第8節(浜村) 

   …夏場になると、漁師は、夜、漁に出る。村の船がことごとく出払うような時には、沖合二、

三マイルのところに、まるで星でもつらねたように、漁り火が列になってチラチラ見えるのは、ほんとうに美しい眺めだ

  花見潟(昼とお盆の頃の夜)

 

  (http://hp1.tcbnet.ne.jp/~kankou/feel/index.html

  花見潟位置図

【参考資料】

『東伯町史』(1968東伯町)斉藤正二ほか訳『ラフカディオ・ハーン著作

集・全15巻』(1983恒文社)平川祐弘監修『小泉八雲事典』(2000恒文社)

『松本侑子HP』池野誠編『ヘルンを訪ねる』(1967島根出版文化協会)

『「盆踊り」ゆかりの地なかやま』(1991中山町小泉八雲を語る会)梶谷泰

之著『へるん先生生活記』(恒文社1998)小泉一雄・節子著『小泉八雲思い

出の記・父八雲 を憶う』(1976恒文社)工藤美代子著『神々の国ラフカデ

ィオ・ハーンの生涯【日本編】』(2003集英社)小泉八雲著平井呈一訳『日本

瞥見記(上・下)』(1975恒文社)同『東の国から・心』(1975恒文社)山

口和利著『古代伯耆研究による邪馬台国解謎』(1985鳥影社)高見茂著『輝

ける古代山陰』(1988富士書店)田中文也著『さまよえる邪馬台国』(1998

今井書店)折口信夫著『折口信夫全集・全31巻』(1976中央公論社文庫)

押本三男著『宿押本家の由来』(1988私家版)琴浦町教育委員会制作DVD

『三本杉の盆踊り・以西おどり』(2004琴浦町)オコラ・ワールドミュージ

ックCD『ケルトの遺産〜アイルランド』(1994キング)瀧音能之著『「出

雲」からたどる古代日本の謎』(2003青春出版社)大塚英志著『「捨て子」

たちの民俗学』(2006角川書店)大塚英志著『偽史としての民俗学』(2005

角川書店)庚午一生「小泉八雲と司馬遼太郎が見た『出雲のカミガミ』」

(2005せとうちタイムズ)石森愛彦『多賀城焼けた瓦の謎』(2007文藝春秋) 

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