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最終更新日2012/05/18

私の故郷:八橋

鳥取県東伯郡琴浦町(旧東伯町)八橋(やばせ)

八橋(やばせ) 山上 憶良 菜の花の沖 小泉 八雲 ブラジル移住 銀河鉄道
八橋城 だまさし案山子 飛行塔 大山(ダイセン) アナログ地上波 水曜サロン講演

東伯(とうはく)。…昨今の「合併促進政策」で、東伯町も西隣の赤碕町と合併する予定です(2004年10月?)。その町名が八橋町になりそうです。となれば、1952(昭和27)年以来の町名の復活です。 …がしかし…

10月20日、「合併協議会」で新町名が決定され、意外にも「琴浦町」になってしまった。協議会メンバーの顔ぶれから推測すれば、「八橋」という地名を東伯町八橋地区に限定し、赤碕町はじめ、他地区に配慮しての決定ではないかと思われます。

「八橋」の地名は後述のように『出雲風土記』に見られ、かつ現代でも八橋警察署はじめ通用するし、動向が不安定な隣の大栄町がくっついてきても通用するのですが…。琴浦とは東伯町逢束から赤碕町にかけての海岸線を言うのだそうですが、現在の文書にはほとんど出てくることはありません。

 

NEWS

2011.01.24 2/27に山陰道(東伯〜中山間)が開通します
2011.01.07 2011年一番最初のNEWSは豪雪による国道9号線大渋滞(琴浦町〜中山間)
2011.12.27 八橋・茅町川上流に安定型産業廃棄物最終処分場の計画と反対運動が…
2007.09.17 水曜サロンでの講演(レジュメ)八橋中井旅館(鳥取総研主催)
2006.05.02 高田屋「鳥取支店」の墓の写真を掲載
2004.04.07 小泉八雲・セツ夫妻の来訪記念碑が出来ました(観光協会へ)。

2003.9.21第1回(八橋郡)潮風女子駅伝競争大会(鳥取県陸上競技連盟主催)

いろいろ事情があってこの大会ができたようですが……

赤碕町花見スタート、東伯町逢束折り返し、ポート赤碕下ゴール・中学5区間12q/高校・一般5区間21.0975q

中学:@鳥取大附属A(古田・尾田・福谷・安藤・山本)43分37秒A鳥取南45分12秒B赤碕A47分08秒C鳥取大附属B47分22秒D気高48分54秒E東伯50分22秒

区間賞:1区(3`)古田玲子(鳥大附A)10分40秒・2区(2`)尾田恵梨奈(鳥大附A)7分12秒・3区(2`)福谷彩織(鳥大附A)7分33秒・4区(2`)安藤朋恵(鳥大附A)7分18秒・5区(3`)吉田泰子(鳥取南)10分47秒

高校・一般:@立命館宇治高A(人見・立花・古田・樋口・河岸)1時間11分13秒・A由良育英高A1時間13分17秒B立命館宇治高B1時間13分33秒C米子松蔭高1時間14分13秒D由良育英高C1時間16分04秒E由良育英高B1時間18分25秒

区間賞:1区(6`)人見麻友(立命館宇治高A)20分57秒・2区(4.0975`)立花三沙子(立命館宇治高A)13分25秒・3区(3`)古田菜穂子(立命館宇治高A)9分48秒・4区(3`)樋口紀子(立命館宇治高A)10分06秒・5区(5`)河岸南(立命館宇治高A)16分57秒

鳥取県は昔風に言えば東の「因幡(いなば)」と西の「伯耆(ほうき)」の国に分かれます。その伯耆の東部ということで「東伯」です。…現在、西隣の赤碕町との 合併話が出ています。

八橋(やばせ)。

すでに『出雲風土記』にその名前が出ています。すなわち伯耆の国、八橋郡(ごおり)です。そのかつての中心地には「斉尾(さいのう)廃寺趾」という、白鳳期の豪族が建立したとされる法隆寺級の寺院の趾があり、戦後まもなく文部省の特別史跡に指定されています。近年有名になった鳥取県西部の淀江町の上淀廃寺より、規模は大きいとされます。なお、秋田市にも八橋があります。

山上憶良

かつ て伯耆の国の国守として山上憶良(大伴家持が因幡の国守だったことは有名)が赴任しており、おそらく、この八橋の地にも来ただろうと想像されます。とくに、貧窮問答歌あたり…。

堺屋喜兵衛・貞代 (高田屋嘉兵衛を育てた)

司馬遼太郎の小説『菜の花の沖』(NHKで2001年、放送開始75周年記念番組として竹中直人主演の同名番組があり、DVDにもなっている)で有名になった高田屋嘉兵衛。その嘉兵衛とその実弟嘉蔵が日本一の北前船を持つに至った奉公先が、当時鳥取藩の廻船問屋であった堺屋喜兵衛とその妻貞代。喜兵衛は、嘉兵衛の母久利(くり)の妹おらくの夫和田屋喜十郎の実弟。淡路島都志(つし)の出身。その貞代の出身地が八橋で、堺屋の鳥取藩の出店も八橋にあった(すべて、『菜の花の沖』の記述による)。

堺屋喜兵衛・貞代・その長男彦助の墓も八橋(同上)。これは、現在の八橋・浄土宗大経寺(琴浦町八橋556 phone:0858-52-2565)にある。

       

左から大経寺山門・「高田屋文五良」の墓・内山家の墓

小泉八雲

私の家のすぐ裏は「白砂」の浜、日本海です。今はさびれた海水浴場ですが(私はその方がよいのですが…)、明治時代ここを小泉八雲(ラフカディオ・ハーン=アイルランド人)が訪れ、今は廃業してしまった「中井旅館」に宿泊し、八橋の海で海水浴をしたという記録が残っています。

    1891年8月14日

    「下市へ行きましたが、盆踊りには三日早く来たことがわかりました。八橋は静かできれいです。宿屋も他のどこよりよい宿です。不思議なことに海では誰も泳いでいません。それで私が水泳すると町中の 者で出て来て見物します。私は八橋ではとても愉快でした。眠り、食べ、泳ぎ、全く快適です。」

「盆踊りは村毎に異なるだけではなく、一部落一区域毎に異なることがわかりました。今東郷池から帰ってきたところです。旅館(現在の養生館とされる)にはよし戸だけで唐紙はありません。だからいつも他人と同居しているようです。東郷池に三カ月いるより八橋に一時間いた方がねうちがあります。」

「逢束(おおつか)では全く特別な冒険をしました。ここは粗暴な土地らしく、酒を飲むと乱暴やいたずらをします。(編註砂を投げたり、水をかけたりしたとある)盆踊りをやめて外人を見物します。」

        『ヘルンを訪ねる』(池野誠編−「帝大のチェンバレン教授宛の手紙」)

*逢束の事件は翌日逢束の人士が恐縮するほどの陳謝したそうです

*日本最初の海水浴場は神奈川県富岡(1875年)あるいは大磯(1877年)と言われている

近く、東伯町観光協会などによって、この小泉八雲の訪問記念碑が海岸に建てられそうです。

明穂梅吉 (日本人最初のブラジル移住者)

日本人のブラジル国への移住は、1908(明治41)年、「笠戸丸」による渡航に始まったと言われていますが、鳥取県出身者のブラジル移住は、それより2年早く、1906(明治39)年に、東伯郡八橋出身の故明穂梅吉氏が単独移住されたのが最初と言われています。(「鳥取雑学本舗」第230号から)

銀河鉄道の夜

また、八橋の海で、おぼれた同僚(軍人)を助けようとして亡くなった人に倉吉市出身の俳人河本緑石 という人があり、盛岡高等農林学校で宮沢賢治と一緒に文学活動をしていた人ですが、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』でカンパネルラが友を助 けようとして亡くなる場面がありますが、そのカンパネルラこそ河本緑石ではないか、という説があります。

そうすると、『銀河鉄道の夜』の舞台こそ私の裏庭である八橋の海となるのですが…。

河本緑石の項もご覧下さい

城山(毛利対秀吉の要衝あるいはトトロの杜)

私の通った八橋小学校には裏山がありました。それこそ「トトロ」の森のある山でした。そこは城跡で「立石城」といわれてました。NHKの大河ドラマ『秀吉』でもたった一言「…伯 耆の八橋の城を落とし…」と台詞がありました。秀吉の毛利攻めで落ちようとした城です。

1582年6月、高松城主清水家が毛利家に提出した清水家譜録のひとつ「高松記」に「…伯耆は矢走(やばせ)川を限り、備中は川辺川を界ひ、中国悉く毛利家へ付属すべし、然上 は清水長左衛門に切腹させ玉へかし。是を和講のしるしとし、秀吉も回陣すべし…」 その城山の中腹に稲荷の祠があり、そのまわりの椿の杜に隠れてよく遊びました(「 秘密基地」あそび)。石垣の上から鎖が降りていて、石垣を登り降りしてました。

さだまさし「案山子」

その城 跡に登ると小さな私の城下町が見渡せるのでした。そのそばを小さな川が流れ、その脇に造り 酒屋があり、この町で唯一と言える高い煙突があります。

南を見渡せば遠くに大山(だいせん)その手前は秋には稲穂が一面広がる田んぼがあります。そこで私説によれば、さだまさしの名曲『かかし』 の舞台です。

「♪…城跡から見下ろせば蒼く細い河、橋のたもとに造り酒屋のレンガ煙突…」

さだまさ しの大学時代の同級生の親友に西隣、赤碕町の河合鎮徳という人がおり、そのためにさだまさしはこのあたりを何度も徘徊していたのです。さだまさしの『かかし』の舞台―八橋 なのです。

飛行塔

また、この城跡に変な塔が立っています。「酒井片桐飛行殉難碑」です。私たちは「飛行塔」と呼んでいましたが、戦前に「満州」からの速報を空輸していた朝日新聞社の二人が悪天候で日本海で遭難し、その破片が八橋の海岸に流れ着いたというものです。そこで朝日新聞社がこの城山(そう呼んでいます)にセスナ機が真っ逆さまに立った格好をしています。恐らく飛行殉難碑としてはギネス級だと思います。

1932年9月、「満州国承認」のニュースを積んだ朝日新聞社機が満州国からの帰途行方不明になり、同機の破片が八橋の海岸に打ち上げられた。

       大山(裏大山)

大山(だいせん)は米子方面から見た伯耆富士と呼ばれるのが一般的です。が、私は日本海側に面したアルプスの尾根を思わせる北側の姿が好きです。特に、春先の水色の大山は美しい。

TVチャンネルは豊富

鳥取県内の民放は3局だけで,日本海(NTV系)山陰(TBS系)山陰中央(フジ系)。ところが在阪局の毎日(MBS)朝日(ABC),関西KTV),サン(STV),読売(YTV),そしてNHK(神戸)がUHF波で受信できるのです。これは兵庫県の日本海側の香住にある中継局の電波が地形の関係で八橋の近隣だけ受信出来るのです。意外でしょう。だから、この町で農村型のCATV(東伯地区有線放送株式会社)が導入されたのですが「多チャンネル化の恩恵」はありません(久米宏の「ニュースステーション」の特集で農村CATVが紹介された)。

※歴史的なことは「東伯町 (現・琴浦町)誌」から転載しています。

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