倚子の会 河本緑石 八橋(やばせ) PTAについて 押本電波(休) なぜ倉吉西高なのか
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最終更新日2012年05月18日
河本緑石・自由律俳句の周辺
(倉吉市社公民館講演レジュメ)
出会い
ペガサス主催「しのぶ会」八橋・中井旅館(
倉吉おや子劇場第3回自主公演
通説の「緑石観」の変更(「賢治の傘」からの独立)
井泉水『大山』の「序」・村野四郎『夢の破片』評
→ 「ある手紙」・兵役中の「詩集」・交流雑誌・『大空放哉傳』…
『新編倉吉市史第3巻』「第7章・文化、
ん今村実氏執筆)
前回の波田野頌二郎氏の3つの疑問
@緑石は何故定型ではなく自由律俳句を選んだか
A前田寛治と緑石とは生年は1年違いなのに何故卒業年次が2年違いなのか
B何故に緑石の生き方とは異なる「志願兵」となったか
『大空放哉傳』の価値
a放哉研究書
b.『放哉傳』に投影された緑石像
俳号「緑石」について(※A)[資料U・V]
謹一郎に指導を受けてはじめた定型の頃は「緑鳥」であった…「加藤朝鳥」(資料W)
『日本文學』(大日本俳諧講習会)に投稿の頃は「緑石」か…「西洋紙事件」(
自由律俳句作品
(cf.「随句」…自由律の鑑賞の仕方の例)(資料X)
a 俳句の出発
薔薇色の空に一つの星が尊くひめありぬ1914
b.
見たまま・きいたまま・感じたまま
正岡子規1897「ホトトギス」──河東碧梧桐・荻原井泉水(自然主義) ─┬─ 表現主義
├─人生主義
├─社会主義
自由律→口語化
疲れし身に砂丘円し油のやうな海
そと灯出せば闇を嘗めをる蛞蝓よ
夕日染みて働く手よ夕陽ちらばる黒土に
c.
堤行く女に雲影静か動く昼
光れりその影の円き畳かな
死束ねもつ男ふいと風の中
土に喰い入る鍬にて蛙死にけり
まどろみ深き病人に薬買うて来し
とろろとろろ海鳴る昼のさかな売り
d.
青み渡れる海を見て飯がつめたい
鍬をそろへて山畑の春日うちかえす
畑の人等にまだ暮れぬ海のいさり火
入営中の詩集『なやめる樹』
「私も一緒に悩んでゐる」
村々や町々から徴集せられた青年達
君等の若い血は躍らない
君等の若い心は伸び伸びとしない
それどころか君等は怖れわなないてゐる
何がかくまで君等を怖れさすのだ
君等はふるへてゐる
君等は孤独で寂しい
君等はなぐさめがない
君等の自由の最後の時間までがうばはれた
君等の意志はめちやめちやにくだかれた
君等は小指ほどの反抗も与へられない
君等は時に正義さへうばはれる
君等はなやみどうしだ
君等は寂しさに泣いてゐる
君等は苦しみにうめいてゐる
おゝ、凡ての近親者凡ての暖かきものに別れて来た君達
私は君達を見るに堪へない
また、
或る時は大杉堺の獄中記しみじみ読みて見たりき
e
一ちやうの鍬を命とし土に生きる
電柱暗く続き高原の雨しとしと降る
死を見守る蠅とその蠅の影
酒ぞんぶんに飲み泣いてゐる百姓
蛇を食べよう山人らそこに火を作る
f.
『層雲』史上での位置づけ
山頭火「現在の私は、宗教的には仏教の空観を把持し、芸術的には表現主義に立脚してゐることを書き添へておかなければならない」(
光すらすら人間に追はるる蛇
冬の夕焼けさびしい指が生える
私の胸の黒い夜沼の蛇だ
ほうと百姓雀追ふた
魂に眼があるきよとんとしてゐる
荒海の屋根屋根
暗い空の雪風に眼がゐる
死んで俺が水の中にすんでゐる夢だつた
狂つた時計ばかり背負はされてゐる
g.
宮澤とし
cf.宮澤賢治も、とし・保阪との別れ以後変化
風がおとすもの拾ふてゐる
風はれるとする谷川へ散る葉
つぷつぷ空乳すつて生まれてゐる
星、みんな消えてしまつた頂上に座る
竹の枯葉の散る子の墓に屋根する
麥がのびる風の白猫
椿落ちてゐる雀下りてゐるふんすゐ
蛍一つ二つゐる闇へ子を失うてゐる
なんとしても逝かせたことが、夫婦でゐる
山陰の風土(古代出雲・伯耆)が生んだ誠実な俳人
文学上の改革期には県人が(香川景樹・阪本四方太・田村虎蔵・放哉・村田薫吉・稲村謙一・杉原一司など)・今村実「ある諦念」・山下清三「偉大な憂鬱者」
緑石・朝鳥の写真は『新編・倉吉市史』「第3巻(現代)文芸」(
よろしければ、私のH.P.も参考になさってください。
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