倚子の会 河本緑石 八橋(やばせ) PTAについて 押本電波(休) なぜ倉吉西高なのか 

ホームへ

最終更新日2012/05/18

押本 昌幸            

1952年6月13日金曜日生まれ鳥取県東伯郡東伯町八橋(やばせ)491番地に生まれる。俗信によれば、13日金曜日は不吉。「491」はキリストが我慢しなさいと言った7の70倍を越えたところの数字でこれも悪い数。6月13日は双子座であまり他人様と相性のよくない星座だとか。血液型はAB型で二面性があると言う。とまあこれだけそろっているとなにか人格に影響を与えていそうであるが、本人はいたって平々凡々。高校生の時「学生運動」を齧る。法政大学社会学部社会学科入学時、浅野英治に出会い、「学生言葉」から抜け出すために短歌を始めさせられる。浅野との共著歌集『笙』、『少年期の邂逅』がある。家電小売業(現在休業中)。 09年度倉吉市勤労青少年ホーム館長(12月辞職)。

現在 主夫で、アルツハイマー及び脳血管性認知証の両親の介護中

                       

<体形維持のため週2回10Kmをジョギング中>   

目標、ダヴィデ像(失笑!)

 

西瓜の骸(鳥取県合同歌集22から)

視野いっぱいに夏の海 耳には白い砂のささやきが集まり

ひとりで走るコンクリートの堤を先触れしてくれるイソヒヨドリの瑠璃色

海岸のジョギングコースを走り抜けるとき潮風と交じる草いきれ

勤めに行く人の絶えた浜の裏道を今日も潮風が流れ始める

起こしてから送り出すまでの親へのゆっくりではない長い朝

かんむりが何にもなくなって朝の菜園にトマトの茎の青臭さを知る

諦め辞めたのは慾の潰えたわけではないのだから黙すキササゲの樹よ

白くまぶしい舗床(いぬばしり)に這入りこんでいる隣の南瓜の蔓のあたらしさ

猛暑日の畑にはや見捨てられた西瓜の骸が褐色に

百歳以上の四万人と自殺者の三万人とのあいだに生きている不思議

オレンジの翅(角川年鑑22から転載)

妖しいオレンジの翅を開きまた閉じて蜜を吸うのは蝶もしくは蛾

今更にゴメンなどとは言えないが君の独り身にひとり想う

八十になっても君を抱くというおとこなど知らないがいま潮風を走る

フォーム停まる終電の明かり窓が水張り田にも並んで蛙鳴く

路肩の草叢をおさえるセメントに国道のアスファルト際の草伸びる

一方通行(73号)

小さな駅の夜道は降りた者たちだけの一方通行 無言の黒い影が進んでいく 

駅からの夜道をスタスタ歩いて5分 五十男が声もなく扉を開ける我が家

隣り近所の付き合いは祖父母 勤め先を知る者もなく朝晩の駅までの姿

嫁さんいたっけ?子どもいたっけ? そもそもアンタいたっけ?初老のお兄さん

少年の頃のかけっこ、勉強、いつも背の低い弟のほうが目立っていた

長男だから田舎に帰ったのかな 弟は親父が特急の車掌だと自慢していたが

少年と少女のままの恋をして30年 誰も知らない遠くて永い恋があったりして

誰も知らない遠くて永い恋なんてあってもなくても同じこと 今日も目を覚ます

例えば葬式があって一日だけの披露の花輪 明日からは夜の扉開ける者もない

名もない五十男の命のおしまいを つや消しの闇に朱い月が立つ

年齢を輝きに変えて…(72号)

共に訪れた旅先 23回目の「入籍記念日」を夫に隠れて告げるひと

子宮を取っちまった母である女、同級生 手術の模様までを聞かせる

自分で見つけた乳がんを術後に伝えるのは季節はずれの手紙を書いてくる女

街灯が白く点々と寒い道 軒先から匂うシャボンの香りに独りの部屋を想う

シャボンの匂いは生け垣と壁一枚へだてた向こうから この白い息のひとりを知る

くすり指の腹で確かめる落日の砂丘、稜線の尖ったところ ジャズ・ヴァイオリンの響き

この窓ガラスに何度もやってきてお尻をさすっているアシナガバチ 捉えきれない秋の夕ぐれ

冬の朝陽に光る蜘蛛の糸 街灯から延びてきていて枯葉を鳴らす

電子掲示板に英語で<東京タワーを爆破する――ウサマ・ビン・ラディン>と書き込んだら逮捕される

狂歌「...傘がない...」(71号)   

五月雨の夜 沖合いの空をモノクロに焦がすほどに明るい「漁り火」

赤外線映像の中に遠く爆撃の閃光 イラク発スペクタクルのハリウッド映画

農道に腸をさらすイタチの骸 避けきれない軽トラックの色はみな白

砕かれた土くれの中に転がる遺体 避けきれない銃口の先はみなアルカイダ

ひと晩で命を終えた蛾などがほろほろとチリ取りの中に消えていく

婚礼に集う異教徒たちに誘導ミサイルを見舞うつもりではなかったと...

家並みが切れてカエルの騒擾の始まる水田 赤い三日月を映す

誤爆なんぞ業務上過失致死なんて言わなくていい そういうのが制服の仕事

生徒同士が殺しあったり、頭をかち割る殺人鬼がいたりするのは映画のはずだった

カリギュラのローマ帝国があってアメリカがあってイラクがあって倒錯刑務所がある

山のような牛を焼き捨て 池のような穴いっぱいに鶏を埋め ヒトはまだ?日本

転がった遺体が1個2個3個... それでも63億分の1個 テレビ麻痺してBomb!

どしゃ降りを君に会いに行くのに傘がないから朝までテレビはつけっ放し

納めどき(70号)

 波打ち際の見える橋 放し飼いの鯉が泳ぎ家鴨が騒ぐ 雪のない冬の朝

国道を迂回した自動車(クルマ)が行き交う橋 通学の児らが欄干に寄って過ぎる

クルマも人の通りも少なくなった波の見える橋 高い切妻屋根に五位鷺の立つ

五位鷺の見下ろす街道は赤瓦と黒瓦の大屋根がせめぎあって並ぶ

五位鷺の見下ろす街道は歩行器の老人と軽自動車が時おり行き交う

海へ抜ける両河岸の道 錆びたガードレールは川面にせり出している

橋の下から波打ち際をのぞくとき 国道の音 鉄道の音 山の音

荒れた日は橋をくぐって砂と塩の風が上がってくる 川岸の街灯も軋む

クシャクシャになった川岸の葦に発泡スチロール 冬を越す堤の草の色

冬の西風 打ちつける塩と砂 頬なら痛くないさ 心の臓に届かないから

君よ夢に立たないままこの川の流れを識らなかったなどと言わないで

君よ夢に立たないままこの街の色を知らないなどと言わないで

君よ夢に立たないままこんな私を知らなかったなどと言わないで

今日は橋の下から覗けば河口付近にウミネコの鳴き声 時雨どき

1952年に生まれて(69号)

今は独り身の同級生 西荻窪にブルーズを聴きに行って来たわと大きな眼で

経理主任に請われてスーパーづとめ 同い年の従業員に厳しいと反目受けても

以前は小さな建設会社の事務 現場がえりの男たちも彼女には挨拶をして帰ったという

マイナーなものが好きなのよねという たしかにおばさんにはなっていない白いブラウスの胸もと

昔から背筋を伸ばして歩いていた そのあいだの30年余りの経緯はたがいに語らず

マイナーなDVDを注文して帰り際 じゃあねと愉しそうな笑みを作って店を出て行った

帰宅はいつも20時だと苦もなく語る 待っているのはネコとインターネットだとも

<50のババア、なんぞ言ってごらん カリギュラのなすび縛りの刑だから……>

<たまには若い子とも飲むわよ でもねえおばちゃんの気持ちわかんないのよねえ>

変わりばえのしない男どもに囲まれて8時間の毎日が過ぎていく「おばちゃん」はブルーズ

ピノッキオ(68号)

30年ぶりにDVDで出るというTVで見た『ピノッキオ』 ジーナ・ロロブリジーダの妖精に逢える

アメジスト色の長い髪の妖精はジーナ・ロロブリジーダ ピノッキオになってみたかった

北イタリアの寒村 石畳の坂道に石造りの家が貧しく立ち並び木枯らしは粗末な木戸を揺らす

妻を亡くしてからの長い一人暮らし ジェッペットジイサンが思い立って作った操り人形ピノッキオ

妖精は若い頃亡くしたジェッペット爺さんの妻そっくり 貧乏が似合わない

妖しげな人形の芝居にもぐりこんだピノッキオ いたずらして一座の馬車の檻に入れられる

ひげもじゃの劇団の親方がピノッキオの素直な親孝行ぶりに金貨を与え家に返す

騙されて金貨を失ったピノッキオを牢に入れてしまった判事役がデ・シーカ監督だったとは

湖に浮かぶ廃屋 妖精のお坊ちゃまになりきって生クリームのような甘い生活 やってみたかったな

勉強も仕事もない「おもちゃの国」は一夜明ければロバの市場 哀しい悲鳴はピノッキオかロバか

修理した廃船でピノッキオ捜しにアメリカへ 嵐の中をジェッペット爺さん 漁師は無表情に見送る

クジラの中の爺さんとの平和よりも陸でのほんとうの暮らしを求めたピノッキオ

妖精が天空に消えていく ピノッキオのこころに母として ジェッペット爺さんには妻として

色褪せしない30枚の濃い黄色の花弁であしらわれた薔薇 その名はジーナ・ロロブリジーダという

青い瞳のステラ、1962年夏…(67号)

(唄:柳ジョージ・詞:水甫杜司・曲:上網克彦)

港を見下ろす公園墓地に青い瞳の船乗り…ステラ爺さんが眠る'62年の夏

夏の風の中、白いペンキを幾度も塗り返す爺さんのハウスは芝の上

進駐軍の赤いキャンディを包んでくれた古い英字新聞オレに渡した爺さん

芝に腰を降ろし俺を膝に抱く 「儂の船はなあ」港を指してカタコト交じりで

金色のうぶ毛の光る腕で俺の頭を撫でまわしてくれたステラ爺さん

胸に金色のうぶ毛が光り赤いペンダントのロケットを懐かしそうに開けて見せてくれた

故郷のテネシーあたりでは今ごろは黍の刈り入れ時さと話してくれた

俺の両手をとり本場仕込みのしゃれたステップでテネシーワルツを教えてくれたのは爺さん

バルコニーに細くなった腕を凭れさせ海風に吹かれるままの色褪せたブロンド

もう一度船に乗りたいと言った 夜は好きなブルースかけてバーボンを引っ掛ける

沖を通る貨物船ながめながら歌おう爺さん、テネシーワルツ 芝生の下から目覚めておくれ

誉めてくれよ爺さん 上手くなったテネシーワルツの唄とステップを 青い瞳を細め、しゃがれた声で

(メロディは…http://homepage3.nifty.com/sinbunyadou/midi/room4/stella.htm

気功(66号)

    残暑の熱で枯れ木の葉が散る、舗道のタイルに吹き溜まる、また熱風が通る

    都会だろうが田舎だろうが鳥の飛ばない空があるなんて絵になるわけがない

    ヴィーナスを想うイチジクの葉と果実の匂い 自転車で過ぎる県道の脇

    かっこいい中年であったりなかったり、この鏡 今日も今日の予定をこなすだけ

    山とビルとの間から水平線が見えて地上までの海の青、波のライン

    夏の終わった海水浴場に昼の光が差して静かな砂の白さが甦る

    プラスティックのような黄緑色の殿様バッタ 透きとおってウィンドウガラスに

    ステンレスのドア枠にくっついて大きな鳴き声 雨を告げる変色アマガエル

    両の手の指のフレームできりとってもきれいにならない 通りの風景よ

    そもそもが人間の世界に生かされているんだから文句があってあたりまえでしょ

    毎朝黙って舗道を掃いて水を撒いて見つめて 人の通り過ぎていく

    コミューン・ダルジャン(65号)

黒いマントの死神に覆われた街の西空に首切り鎌のような月

街なかの廃屋屋敷に土間が続き闇からのぞく奇数組の赤い眼

闇なかの赤い眼は猩猩なのか 老いた男女十数名

土間屋敷の老人たちはケアハウス脱走組、子どもからの遁走組、合流組、ほか

職員たちのはしゃぐだけのようなケアハウスから逃げてきた奴ら

老いてUターンしたものの畑と住民から逃げてきたやつ一名

子どもは子ども俺は俺 老いて一人全国をドライブして回ってきた奴

退職金で建てた田舎の別荘暮らしも夫婦にも飽きた末っ子と姉さん

50年恋しつづけてさらに終わりの無いかもしれない恋をつづけてひとり

顔の見えるインターネットよ俺たちは だって友だちの友だちは友だちだもの

孫の守りやゲートボールなんかやってられないわ、家を譲って出てきたぞ

馬鹿な死に方をした奴が俺も仲間に入れろという 飯はいらないからと

まじめな公務員生活をやりきってしまったけど漁師の息子なんだよなあ俺は

部屋中にパソコン持ち込んでタバコをプカリ ヤニいろの髪は「エア・ステーション」

馬鹿な幽霊や ほら40年めんどう見てきた嫁さん返すぜ

毎年の海外青年協力隊に応募していたけど何か役に立つだろうと不良老年が

私ら小学校からずうっと一緒だったけど、もういいわよねえ

土間屋敷 言ってみれば下宿のようなもの 故郷のない奴らの──故郷か

倚子の会のトップへ 押本昌幸の個人ホームページへ

さすらい通信(メルマガ)(景山由博氏主宰)にとりあげてもらいました(2003.2.11 )

  はじめに戻る