最終更新日2012/05/18
あさの・えいじ(浅野 英治1929-2004)
小学校教員と併せて劇団虎の子グループを主宰しNHK名古屋放送局の学校放送劇を放送する。戦後片山邁(すすむ)と図り「鈴鹿嶺短歌会」を結成,歌誌「鈴鹿嶺」を編集発行、のち田中長三郎と共に「四日市短歌の会」を中村徳之助より引き継ぎ歌誌「あかね」を編集する。上京後は同人誌「層」により、傍「ポエトピア」「だんがあち」を主宰し、 のち「倚子」による。(現在「倚子の会」代表は山崎真治、「倚子」編集は押本昌幸が継いでいる。因みに「ポエトピア」は桑原政昭が「だんがあち」は押本昌幸が、「倚子」は玉城徹が各々の名付親である。)「多摩歌話会」(委員長・片山貞美)の事務局担当3期目の途中、病のため帰郷。脳舞踏病により”20歳までは生きられない”と名古屋大学附属病院で宣告を受け、のち心臓弁膜症・狭心症・糖尿病による膵・肝・腎の疾患・右眼失明の他、2度の交通事故と後遺症などと共に生きて、たぶん3.5倍の歳月を生きのび、20世紀最後の誕生日を迎えるはず。 生命の持続は「BIOS-9000」(電子治療器)のエネルギーによるもので、歌集の題名は「活ー波動共鳴水」から採る。 著
書は14の歌集の他、童詩集・童謡集、放送劇台本集、舞台上演脚本集などと、幾つかの合著、編著がある。{歌集『共鳴関係』あとがきによる}
なお、本人は血液型をB型と認識していました(『B-NETU』拾い書等)が、最後の手術の際AB型と判明しました。 2004年1月12日永眠しました。
あさの・えいじの最期(遺詠ほか)についてはこちら
【短歌歴】
若山牧水(1885-1928)『創作』───────→………
‖ (1942合併)↑ 。
高橋俊人(1898-1976)『菁藻(1928〜42)』──片山邁(1918-1951)『鈴鹿嶺』『星座』に 指導を受ける(1943.7〜1951.3)
。以後、
↓『多磨』(中村正爾・選)
↓『創作』(高橋俊人・選)
↓1951.6〜『短歌人』(齋藤史・選)
↓1970〜同人誌『層』(野村米子・代表)
↓1972.7〜1983.9『新短歌』(宮崎信義)
↓『ポエトピア』『だんがあち』
↓1983.9〜『倚子』主宰 【歌集一覧】(『春雪』までは定型)
1 |
1948/11/10 |
星 原 |
星座短歌社 |
あさの・こうはん・くらぶ |
2 |
1950/00/00 |
幸 福 |
未確認 |
未確認 |
3 |
1951/08/01 |
黒き蝶 |
四日市歌の会 |
あさの・こうはん・くらぶ |
4 |
1956/09/13 |
菁 莪 |
四日市歌の会 |
淡紅社(孔版) |
5 |
1957/09/15 |
裸 魚 |
四日市歌の会 |
タイプ印刷 |
6 |
1958/03/31 |
春 雪 |
四日市歌の会 |
タイプ印刷 |
7 |
1975/02/14 |
あさの・えいじ作品集 |
ポエトピア社 |
富士アートプリント社 |
8 |
1976/09/01 |
そして、2年 |
ポエトピア社 |
ペン書きオフセット印刷 |
9 |
1984/11/12 |
夢 幻 |
倚子の会 |
池田印刷 |
10 |
1984/11/12 |
グッと来る朝 |
倚子の会 |
池田印刷 |
11 |
1985/02/14 |
蝶の道 |
倚子の会 |
池田印刷 |
12 |
1989/12/01 |
乱 |
倚子の会 |
そうぶん社出版 |
13 |
1994/08/15 |
U |
倚子の会 |
マイ・ブック出版 |
14 |
1999/02/14 |
B-NETU |
倚子の会 |
池田印刷 |
15 |
2000/02/14 |
共鳴関係 |
まい・ぶっく出版 |
三星印刷 |
16 |
2000/12/12 |
零れ落ちたRecipe |
まい・ぶっく出版 |
三星印刷 |
17 |
2001/06/13 |
翔べない翼 |
まい・ぶっく出版 |
三星印刷 |
以降第18〜第25歌集までは倚子の会の刊行目録に
転 載
仙台の「yummy」さんのH.P.に掲載されてました(Thanks!)
ここは終わりのない場所 脳裏によみがえる記憶は手を繋ぎ合う風の象(かたち)
月刊 「短歌」(角川書店)掲載・歌集『翔べない翼』(2001.6.13)所収
*
ふたつの律(70号)
足の底から突かれたようにたっている ぐらっと傾く上半身を支えて
笑っているのにとまどったような表情をして手を差し延べてくる
差し延べられた手 とまどっている6本が触手のごとく泳ぐ光の中
ふらっとして、ぐらっときて、ふんばって 笑ったような笑わなかったような
すがりつきたいのに支えのない空間 まっ白な部屋に光が走る
話し声が音のように響く部屋 オブジェのように広がる光り
毀れても飛び散ることのない粒なればひとつひとつの記憶失くせり
海に出て月の輝き鈍くせり黄は黄ながらに少し痩せしか
朝な朝な繊く鳴き出る石の下 かそけき生をわれも継ぐべし
色あわく花咲き初めし西の朝さざんか梅雨と人の言うなる
白きまま昇りつめたる秋の月 喰われし夢はいつ果たされむ
タコ焼きもお好み焼きもいいけれど本日休店の札揺れている
粟雑煮栗ぜんざいにキビダンゴいったりきたりする店の前
行列の店は新規のさぬきうどん名物きしめんかまだ迷っている
グラタンよりドリアがいいとサンプルのエビ睨みいる店の陳列
ホワイトかドヴィかソース決めかねて終らぬオーダー、黄なるオムレツ
跳ね上げしまっ朱な尻ッ尾の天丼に魅せられいるガラス窓越しに
茹で上げの蟹は北からの直送で鯱鉾張った高脚の味
半片は鱧のすり身に冷やし葛とろりと口に残るうす味
まぐろは赤身、白身の薄す刺し 結局は財布の中身と相談の後
あれこれと迷って食べた戻り道カフェ・オ・レかカプチーノか
仔犬よB(68号)
<呼んでくれよ、ずっと呼んでもらえなくて……寂しかったよ、ほんとに>
<……ユウ、……ユウ――ユ……ウ……>暖かな鼓動に抱きしめられて
幾度も名を呼びつづけ両手をさしのべて背に回す 口づけのあいま
子どものようにしがみつく硬い毛に指先を埋める <ユウ、……ユウユウ、ユウ>
なによりもなじんだユウの毛並み 繰り返し指で梳いてやるその手触り
なだめるように抱きしめる顔を熱い舌の先で舐め回す 涙とともに
熱くざらつく感触 虚空をさまよう視線 窓の外の白に朱が流れる
やさしい仕草の繰り返し 熱い舌先に包み込まれてボクはのけぞる一本の紐
鼻を鳴らして甘えるような声 なだり、せがむときのようなおsの響き
離れようとするユウを引き止める 目をそらす間に消えてしまうのが怖い
<バッカダナどこにもいかないよ、ずっとそばにいる。犬って人になつくんだよ>
ほんとうは怯える心をこじあけて欲しかったのかも知れない ギシリッ骨が軋む
苦しみも痛みも恐怖 繰り返すたびにこぼれ落ちる涙が奇跡を呼ぶ
怯えきって蹲ってはダメ 信じる力が奇跡を起こしてきたやさしい獣たち
<呼んでくれよ、おまえの声で呼んでくれるのを待っていた ずっとずっと>
生 誕 日 ―2003.2.14―(67号)
ヨイショヨイショッヨォイショッ 出来の悪い髑髏(しゃれこうべ)たちが這い回る真夜中
ちらりちらり 捨ててきたはずの髑髏(しゃれこうべ)たちの目覚め 目窩が零す涙
涙を堪えた怨嗟のこえか 怖い怖いと夜っぴいて徘徊する髑髏たち
ひょうひょう 浮遊する髑髏(しゃれこうべ)たちが交差するとき宙に放つ光のエナジー
コツコツコツ 縋って辿る老人の杖 生きてきた歳月に硬くなる髑髏(しゃれこうべ)が鳴る
ここ過ぎて闇の深さを知る ちょろちょろと流れ出る地下水に光を探して静謐に生きる
7日後に(66号)
7日後に会える――はやるこころを乗せて台風は海上を北北東に進行中
「会えますように」と祈りをこめた七夕の短冊が届く 願いはともに同じ
人口の渚うつ波は荒いが頭上はすでに青空 東北沖へ台風の抜ける頃
白い花びらに紅茶をぶっかけたみたいな薔薇の花 少年のままのように
<ああ、確かイギリスの薔薇、ジュリアっていうの>懐かしい色を抱いて
子午線を通過するとき落としていった太陽の片塊 少年のような彫像
黄金色の薄暮は真昼よりなお明るく天井を染めてボクたちの声を弾く
*
頼りない腕に抱きすくめられてこのまま止まってほしい時間 洩れる吐息
肩に回された腕をほどいて見送る他ないプラットホーム 奪ってしまいたい
*
朝から降りつづく梅雨の名残り雨 耳に留めた心音のごとき歪な雨音
吉祥寺(スナック「パピヨン」)からの付き合い…石光盛雄・桑原政昭・押本昌幸
吉祥寺(メトロボウリング場内スナック「レ・マン」)…中村卓・山崎真治
※「パピヨン」初期には吉田拓郎とそのバックがたむろしていたらしい。
※「レ・マン」のあるボウリング場はプレイステーションのゲームに出ていた。
※尾崎豊にも声を掛けていたらしい(豊の父の葉書あり)
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