いっしょにがんばろう エドワード・ハワード
これは僕の初めての日本語で書いた原稿。僕の日本語は日本に来てから覚えたもので、上手でないので許してください。原稿の目的は、日本人と日本文化に対する一人の外国人の気持ちを説明してみること。多分、多くの日本人は、外国のことにちょっと興味があるけど、外国人と話す機会は少ない。なぜかというと、主に言葉の問題だ。この原稿で僕も勉強するから、皆さんも一緒にがんばろう!
一六一三年、初めてのイギリス人、ウイリアム・アダムス(日本人名・三浦按針)が偶然に日本に来た。僕も好奇心が強くてイギリスから日本に来た。アダムスも僕たちの印象と同じことを感じたと思う。
疲れたし、どうしようもないことがあって混乱した。しかし、僕は十三時間の飛行機に乗って来ただけだった。彼の方がつらかった。十八ヶ月間も危ない船で来たのだから。(だが、僕の飛行機の席もとっても狭かったよ)何しろ、日本に来ることは、まだまだ冒険的な経験だ。
「なぜ、日本に来た?」とよく聞かれる。最近の若い外国人は、大学を卒業してから日本に来る。多分、自信を持って新しい体験を探してみたい人が多いのだろう。でも、まだイギリスでも日本でも、こういう若者は珍しいだろう。
しかし、日本に来るといろいろな難しいことがある。例えば、日本の文化、社会、考え方、礼儀、習慣は欧米に比べると、基本的な違いがある。(別の機会に論議したいと思う)結局、外国人にとって、日本人の生き方は時々、不思議に思う。「なぜ不思議なのか」と考えると、多くの理由がある。
日本人には明らかな外国のイメージがあると思う。日本の社会では、アメリカの文化がたくさん入っている。例えば、ファッション、スポーツ、音楽、映画界など。しかし、外国ではこのような日本文化がテレビに出てこない。アメリカでもイギリスの文化をよく知らない。
だから、日本に到着するまでに予期することは難しい。かなり知らないことが多い。もちろん、寿司(すし)や相撲も聞いたことはあるけど、それ以上に考えたことはないと思う。一般に日本のことを考えると、侍と神風とカラオケしかない。それから、ソニー、トヨタ、ホンダという企業だ。
そして、日本の歴史は長くて深いけど、世界では欧米人との間に、まだ多くの国際関係はないと思う。だから、渋谷に始めて行ったとき、侍も相撲取もほとんといなかったことに、ちょっと失望した。外国人はまだ古い日本が大好きだ。
僕にとっては、日本で生活することで、また生まれ変わったという気持ちになった。一九九五年十月二十一日(僕が日本に初めて来た日)から、話すことも読むことも聞くことも、理解できなかった。だんだんとそれらがわかってくると、僕の性格が変わった。以前より気をつかうし、立ち向かうこともあまりしない。電話でも礼をする。でも、この体験は簡単ではなかった。
やはり、何も分からないと、とても困る。日本的なことがすごい。本音と建前の違いを知らないで、日本に住むことを想像できるだろうか。たとえば洋式のトイレでは、反対に壁に向かってしゃがむ。僕は間違えたことはないが、この使い方が分からない外国人がいる。常識は国によって違う。日本に来たとき、スマップもアムロも松田聖子のことも全然知らなかった。この学ぶ体験はいい勉強だった。
つまり、「雨降って地固まる」ということだと思う。四百年前のアダムスと、いま日本に来ている外国人は、同じことを感じていると思う。江戸時代に、日本が進むために勇気を持ってアダムスに協力した家康という将軍がいた。お互いが協力すれば、自分も上達して何でも出来る。だから、いつも新しい体験をして一緒にがんばろう。
(倉吉市)
「成功」という問題
イギリスでは高校生は、11歳から16歳までのことだ。僕は高校生のときも大学生の時も、成功しないような生き方を試みた。本気の勉強の代わりに、コメディアンになるよう一生懸命やった。生徒たちの中で頭のいい人は、あまり人気者ではなかった。でも、僕の心の中では成功も失敗も恐れていた。
東京に住んでいたとき、偶然にインドやギリシアで英語を教えたことがある先生と一緒に住んでいた。ある晩、新しく発見した日本のビールを飲みながら、いろいろな話をした。僕の勉強の知的な問題(じゃまもの?)を相談した。その時、日本語を本気でやろうという気持ちを持っていたその友達が、ヒンズー教の考えを教えてくれた。
「(皆からほめられるような)栄光が成功の報いになる事をしてはいけない。ただ、自分がやったことの満足の喜びを報いにしなければならない。」これはすごい考えだと思った。突然にずっと前から感じていた圧力がなくなってきた。その簡単な話の結果に、自分の自信が大きくなったし、勉強にまたやる気が出てきた。
子どものころ、がつがつと本を読んだ。読書が大好きなこともあって、心理、神話、人類、歴史、特に日本の文学、歴史と何でも読んだ。つまり、圧力なしで興味によっての勉強は楽しいということが、初めてわかった。大学を卒業したけど、教育についてはまだよくわからなかった。日本に来てからよく考えた。
昔は勉強にはすごくせっかちだった。高校生のとき、あまり勉強しなくても試験に合格した。日本語だったら、こういう学び方はよくない。日本語は早くできる言葉じゃない。一歩一歩ということだ。(もっと頑張っていればと思うと、時々まだくやしい。)
もう一つ新しい考え方があった。倉吉に来た時、空手の練習に初めて行った。僕のおじいさんも、おじいさんの兄弟三人もボクシングをしていた。おじいさんはプロになりたかったけど、おばあさんが「ダメだ」と言った。おじさんもイギリスの陸軍のチャンピオンだった。
僕はずっと前から空手をやってみたかったけど、機会がなかった。倉吉に来てからいいチャンスに出合った。でも、日本語の難しさのように、最初はすごく大変だった。体がすごく硬かったし、まだ聞いたことのない日本語ばかりだった。でも、先生の我慢とやさしさで、ゆっくりと練習を始めた。速さ、形、力、バランスに集中した。
一歩ずつで、すばらしく楽しかった。下手だったのに(まだ下手だけど)、考えてみると、喜びは自分を上達させることだった。他人の期待は大事なことじゃない。自分がわかるようにするだけだ。
このような考え方について、日本では深い歴史や文化がある。空手、相撲、禅、茶道、いろんな種類がある。こういう経験と満足から日本の心が見える。
近代の日本の考え方では、成功はすべて会社でも学校でも社会でも大事なこととされている。でも、よく考えると、この成功への気体が高すぎると思う。日本人の考え方が外国人のようになってきていると思う。これは危ない。
自分のできることを考えながら上達するという、仏教に基づいて社会が人にやさしいことを最上と思うことの理屈がわからないと、せいこうという言葉は無意味になると信じている。自分のゴールも子どもたちのゴールも考えないところから、自分の成功が導かれる。