判定するどんな資格があるのか

ー正しい英語表現とはー

 英語表現ノートと題して日本人が間違えやすい表現を諸著、辞書などからひとってきて、比較検討するという作業をしている。
どの英語表現をえらぶかというと、当然私がよく知らなかった、あるいは、なぜこういう間違いがおこるのか理由をたずねたい、と いうおおざっぱな基準で始めたばかりである。
 かつてティームティーチングで相棒を勤めてくれたポールさんに京都で一日会うことができた。いい機会だと思ってこの種の本 を2冊携えていった。日本人が間違えている英語表現をその本の列記の順にたずねてみた。その本の著者は、間違いの度合い を△、Xというように表記していた。私の説明を聞きながら、ある時にはその著者に賛成したり、ある時にはそうだろうか、間違い とされている表現は文法的には正しいし、考えたら意味は分かる、と言った。
また、ある時は、この著者の方がおかしいのでは、 などと言うこともあった。
そして、彼は 「どうして彼はこの表現は正しい、正しくない、なんて言う資格があるのか。」といぶかしそ うに言って、以下のような興味深いエピソードを話してくれた。
 彼がALTの仕事を終えてから、カナダの大学に再入学した。その時、観光地のガイドのアルバイトをしたことがある。アメリカ 人、オーストラリア人、日本人、その他英語をネイティブにしない人などのいるグループのガイドをしたときのこと。
アメリカ人は女 性で、彼女は自分のグループのメンバーの使う英語はよく理解できない、とポールさんにもらしたそうだ。
彼女はおかしい。彼女 のつかっている英語と違うからと言って理解しようとしないのは傲慢だ、とそのアメリカ人女性を彼はつよい批判した。
彼女はカ ナダ人であるポールさんの英語は理解したそうである。彼女はアメリカ英語の上にあぐらをかき、アメリカ英語であらずは、英語 にあらず、わからないのは相手の英語がおかしいからだ、という考えの持ち主だったのだろうか。
 もう一つのエピソードは、彼の父親から聞いた話である。父親が接する人々のなかに英語とは思えないような発音をするが、 文法はきちんとしているという人々がいるそうだ。彼らの使う英語は、今のアメリカ英語やイギリス英語を基準にすると異端かも しれないが、いずれ彼らの英語も立派な英語として認められるようになるだろう、というのが彼の父親の考えであった。
 英語が世界語になるということは、つまり彼や彼の父親の考えを認めていくことではないのか。アメリカ英語、イギリス英語を 絶対的なものとしてみたら、この表現はおかしい、時代遅れだ、ということになるかもしれない。しかし、今後ますます特定の国を 絶対的な基準とする英語よりもそれぞれの国や地域で話され発展してきた英語が地球規模で今まで以上に流通してくると、ポ ールさんや彼の父親のような柔軟な英語観が英語のネイティブスピーカーの側にも求められるようになるだろう。
言い換えれば、 日本人がジャパニーズイングリシュを使うことは当然であって、卑下する必要はない。大切なのは、英語を媒介としてどんな内容 をコミュニケーションするかということではないか。必要以上に、間違いをおそれることはない。
しかし、むかし習った英語で十分。 現代英語の動向にかかずらう必要はない、となれば、これもいきすぎ。要は、目先の英語表現に必要以上にこだわりすぎてもい けないが、まったく無頓着でもだめ、ということになるだろうか。

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